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2003年12月中国極寒旅行記

12月9日(水曜日)。 *この記事は「港華の中国のメールマガジン」N099〜103に掲載されたものです。
 
日程 スケジュール 宿泊地・滞在地
1日目 朝  ANA919便で成田〜上海へ(中国は寒かった) 5つ星ホテル
JCマンダリン
昼  車で市内に入り、ホテルからタクシー(23元)で上海世貿商城へ
夕方 954路バスで豫園へ〜(約1時間)、小籠包(16元)を食べる
夜  ホテルのプールで1時間泳ぎ、夕食は近くの「避風塘」で
夜  南京路から外灘に行く(物乞い集団は勘弁してくれ)
2日目 朝  朝食を探しに南京路から南下して准海路まで歩く(避風塘になった) 上海
午前 ホテルを出て、再び豫園に行く(目指せ!小籠包)
昼  外灘隧道(乗り物+トンネル、30元)で対岸の浦東へ
午後 南京路に戻り、「桃源郷」で足壷マッサージを受ける(78元)
午後 16:00、お土産を買った後、地下鉄で上海駅へ
夕方 17:00過ぎまで陸橋にいた後、上海駅の軟席候車室に
夕方 18:16発、上海発北京行きのT136次特快(軟臥499元)に乗る
夜  食堂車が連結されていないのに愕然!5回くらい車内販売を利用した T136次列車内
3日目 早朝 列車の窓から外を眺めると、外は銀世界だった(焦り)
朝  8:16に北京に到着。駅で張さんと彼女の生徒さん達と待ち合わせ 北京
朝  朝食後(ご馳走様です)、中国歴史博物館へ(古代エジプト展)
お昼 西単で昼食後、民航バスに乗ろうとしたら、バスが無い!!
午後 みんなと別れて、タクシーで北京空港へ(92元)
夕方 日本への機内で、携帯が壊れて、中のデーター全部飛ぶ(悲) ANA906便


成田第2空港  じつは今回の旅行にあたって、気候の方は余り気にしていませんでした。 3日間なのででカバン1つで済ませたいので装備も軽量化で下着とカメラと筆記用具 しか持っていきませんでしたし、出発の日東京は晴天でした。だから、上海到着直前 のANAアナウンスで「本日、上海の天気は雨、気温は2℃です」と聞いたときあせ りました。現に到着した上海浦東空港の寒いこと寒いこと。迎えに来てくれた現地の 旅行会社の方も薄着で大丈夫ですか?と心配されたくらい、なにせ上はジーンズです から。

 トヨタのハイエースに乗り、これから今日泊まるJCマンダリンホテル(南京西 路)に向かいました。外を眺めると、道路に沿ってリニアモーターカーの線路が通っ ていました。当時は土日しか走らないため、残念ながら世界初の実用化は見れません でした。空港からホテルまで色々な車を観察しましたが、VW(ルポ)とAUDI(A6)の多さに驚きます。その次にトヨタ(エスティマ新。旧)、ホンダ(オデッ セイ)が目に付きました。今回泊まったホテル、JCマンダリンは2度と泊まれない ような5つ星ホテルです。フロントの吹き抜けが6階まであり、鄭成功をイメージ した彫り物の絵(?)がきれいでした。1階のレストランはステーキ、刺身が食べら れるバイキング方式でしたが1回288元もかかるので、ここでは食事は利用していません。部屋に荷物を置いた後、自分は列車(T136次)のチケットを取りに虹橋 区の上海世貿商城にあるノースアイランド社に行きました。タクシーを使って23 元。この旅行会社は上海世貿商城の5Fにありますが、中が広くて迷いました。旅行会 社のスタッフはみな気さくでいい人でした、お茶まで出されたし。雨もやんで、行動 できそうでした。


JCマンダリンホテル  その後954路のバスに乗って豫園(近くの老成門が終点)に行き、南翔饅頭店 (小龍包)を目指して走りました。去年上海に行った時は、この店の前は日本人だら けで1時間以上待たされましたが。今回は日本人もいなく15分で買えました。デジカ メが空腹を訴えていたので飯を食わすためホテルに戻りましたが、間違えて途中下車 &渋滞により1時間30分もかかってしまいました。
 充電している間、ホテルのプールを利用させていただきました。幅17m。最初の 水深は90cmでしたが、17m先には水深2mもあり、溺れそうになりました。4 0分泳いだ後は風呂へ行き、シャワーと湯船とサウナにつかりました。夜、9時ごろ 風邪を引く恐れもあるのに、近くのレストラン「避風塘」で夕食をとり(35元)、 地下鉄で人民広場まで乗って、そこから南京東路を歩いて外灘まで歩きました。嫌な 思い出がポン引きと乞食の多さです。特に南京西路付近で子供のお涙頂戴演技には勘 弁してくれとおもいました。全然疲れていなかったのに、最後の最後で疲れてしま い、夜1時の買ってきた青島ビール1缶で何もかけないで、普段着のまま寝てしまい ました。

夜の外灘 豫園のレストラン


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12月10日(木曜日)

さて、何もかけずに朝の5時まで爆睡していましたが。体が(日本時間の)6時にな ると起きてしまう習慣なので6:30分からTVを見ていました。もちろん、NHK を見てしまいます。そして朝食をとりに街に繰り出しましたが、レストランは大体10 :00に開くので、探すのに苦労しました。素直に人民公園までいけばよかったものを、 陝西路を南下して准海路まで歩いてしまいました。途中、延安路の立体交差点を過ぎ たらお菓子の家みたいな洋館が立っていて、どこかのクラブみたいなものですが、日 本語で「海の家」と表示されているのですね。どういう理由でそんな名前になったの かは知りませんが。結局、錦江飯店の裏に24時間営業の「避塘風」があったのでそ こで済ませました。

錦江飯店の裏通り 東方明珠

 この日は中国で映画を観たかったのですが「黒客帝国」(マトリックス)、残念な がら上海の映画館では上映されていませんでした(パイレーツオブカリビアンは上映 されていたんですけど)。仕方ないから歩いてホテルに戻りチェックアウトまで再び 寝て、10:00にホテルを出ました。その後は豫園に行き、また小籠包を買ってしまい 勢いで外灘に行きました。この日も前日と同じく曇りで吹き付ける風が薄着の身にこ たえました。普段は混んでいる外灘もこの日はガラガラ、旅行会社の名刺を配る兄 ちゃんたちとしか遭遇していません。
 和平飯店のところまで北上したら、何気に対岸 にいける地下トンネルが1昨年開通されたのを思い出し、言ってみました。電気で自 動運転されるゴンドラにのり、お台場の観覧車のようなイルミネーションの輪をく ぐって浦東まで行くんですが片道30元とえらい高く、すれ違った観光客は5人くら いしかみませんでした(自動運転なので乗客0でも動いている)。対岸に着き、地下 鉄でリニアモーターカーの出ている「龍陽路駅」までいったのですが、肝心のところ がシャッターがしまっていまして、リニアのホームにはいけませんでした(地下鉄に もいました、今度は身体障害者風の物乞いが、勘弁してもらいたいです)。

 再び河南中路駅に戻り、南京東路の吉野家の隣に「桃源郷」(日本語20%可)とい うマッサージ屋が10元割引券をくばっていたので、初の足裏マッサージに行ってき ました。78元もするだけあって、部屋の中ではすきなDVDを選んで観ることが出来 ます。マッサージの時間は1時間半くらいでした。ただくすぐられるのが苦手な方は つらいですね、私も足の裏を触られるたびに笑ってしまいました。

上海地下トンネル、片道30元・往復40元 トンネル内部

 15:30に地下鉄に乗り、上海駅へ。いまにも雪が降りそうな空の下で私は、線路に 跨いでいる道路まで歩き、時間がくるまでひたすら通る列車をながめていました。あ る意味これが最も一番幸せと感じる場所でもありました。雨が降ってきたので16:30 に駅へ行き、軟席候車室で列車を待っていましたが、駅の電源にデジカメを充電させ ていたら、駅員に怒られました。17:40にT136次、北京行きのゲートが開かれる と、私は荷物を抱えたまま、撮影に奔走していました。今回乗ったT135/136次列車 車両は軟臥と軟座しか連結されていないある意味、グレードの高い列車ですが残念 だったのが食堂車が連結されていなかったのはショックでした。だって何も買い込ん でいなかったのですから(ふつうは付いているだろうに)。しょうがないので半分 やけで車内販売のカットーフルーツやケーキまで頼んでしまいました。今回のビール は寒いので冷えていました。車両の通路の両端に電源があるので、私はそこで電力 ジャックをやっていました。

軟座はいい席でしたが、お客さんの姿は皆無でした。列 車は定刻より3分早く出発しました。車内は暖房が効いていましたが、軟臥の窓側は えらく寒い記憶がありました。無論、この寒さは明日の朝の「起きたらびっくり」の 伏線に繋がっているのはいうまでもありません(結論、北京ー上海間は乗るならT 13/14次かT21/22次をお勧めします。それはいろんな意味でパラダイスでした)。
T136次 北京行き特快 上海駅発現在の座席空席状況、ウルムチ行きの軟臥が空いている!! 朝の北京駅 寒い!

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12月11日(金曜日)

レストランでの集合写真さて列車(T136次、上海ー北京、軟臥)に乗って、明け方(6:30)トイレに起 きた時、窓の外をふと見ると窓ガラスがひどく曇っていて、外の景色がみえませんで した。もっとも寝ぼけていたからある恐ろしき現実に気付きもせずに「きょうは随分 外が真っ白だなー」なんて呑気に独り言を言いつつトイレから戻り、曇り窓から指で 曇りを取りました。変だなと思いもう一度外を外を覗くと、外は一面銀世界。つまり 昨晩のうちに積雪があったんだと一気に眠気が吹っ飛びました。

 実は自分、凍った所で転倒、骨折をした嫌な思い出があるので、日陰の北京駅を想 像してしまい、駅前が凍っていたらどうしよう?とかなりあせっていました。ただ幸 い天津付近を過ぎると、雪の景色がほとんど無くなりつつあったので、助かりまし た。

中に入っていたのは・・・「オレだったァァァ!!」   列車は定刻通り北京駅に到着し、隣には長春(2003年8月に開通した秦沈旅客 線経由)から来たT60次が停まっており、この列車には高包が付いていました。地下 道を抜け北京駅を出、地下鉄の改札口前で、待っていた北京の友達と会いました。今 朝の北京の気温は−2℃。友達は日本語塾の講師を務めており、生徒さんとも3人お 会いしました。皆自分の無謀すぎる薄着に驚いていました。  近くのレストランで朝食を取った後、皆で中国歴史博物館に行き、古代エジプト展 をお昼近くまで鑑賞しました。その後、西単に行き(空港に行く)時間まだあるから とお昼をごちそうになりました。ところが西単民航バスに行くと「あと30分以上は 待つ」と言われ時計を見ると1時10分。14:50のフライトぎりぎりです。仕方なく、 ここで皆と別れてタクシーで北京空港へ。

 市内はいたるところで渋滞しており、空港に着いたのが14:10。もちろんあせって もどうにもならないので北京の車を観察していました。上海ではドイツ車が多かった けれども、北京では現代車(ヒュンダイ、韓国)が日本よりも多く走っていました。 パトカーも現代車がありました。「この現代車が量産の暁には日本車など・・・」と 現代車の売り込み姿勢がうかがえます。
タクシーの中、北京空港へダッシュ 最後のトラブル。無事飛行機に乗り込み、フライト中、突然携帯のバッテリー部分 が焦げる臭いと共に、触れないくらい熱くなっており(原因不明)、思わず床に転が してしまいました。「これで床が燃えたら絶対明日の新聞載るな」と覚悟していまし たが、幸い何事もおきず無事日本に到着しましたが、携帯は復活しまし たが、悲しいことに相手の連絡先以外のデーター(着メロ、写メール画像等)は全部リセットされ ていました。

 波乱の旅行はこれで終わりですが、結構3日のわりには充実していました。2都市 めぐりと長距離列車の利用、うまいもの食べ歩きと次回への楽しみに繋げたらいいと 思います。次回は中国で携帯電話購入にチャレンジしたいと思います。では。

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