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4601/4次、ウランバートル−フフホト国際列車編

06年10月6日〜10月7日乗車 著者:ボーゲン管理人

*文章および画像は著作者にあります。したがて無断使用は厳禁!!

ウランバートルを出発する列車 ウランバートルには到着日も含めて3日ほど滞在していたが、このうちの2日間は大して寒くなく、むしろ部屋に付けられた公共施設の暖気が暑く、朝起きたら汗ぐっしょりという日もあった。
ところが3日目、前日までさわやかな秋晴れだったウランバートルに突如冬の到来か、急に気温が下がり、明け方には小雪が降り、公園や人通りの少ない場所では、うっすら綿が地面に敷かれている感じだった。天気は曇り空で、一部青空も見えたが、粉雪が舞っており、気温は氷点下だった。朝から暖かいスープを飲まないと、体が冷えそうな状態だ。

この日は、夜にウランバートルからフフホト行きの列車に乗車する。後で供述するが、外モンゴルの首都と内モンゴルの省都を結ぶ唯一の国際列車である。
切符は宿泊先のあずさやで注文し、4人乗車の下段を頼んだら42ドル($)+手数料30ドルの72ドルかかった。ちなみに高級軟臥もモンゴル側の車輌にはあるようで、こちらは62ドル+手数料30ドルの92ドルだった。
私の乗車する車輌は今回はモンゴル側の車輌だ。

この日はどこかに出かける予定もなかったので、朝はバスでウランバートル駅まで行った。バス停はあずさやの近くにあり、駅へ行くバスも出ている。
ウランバートル市内のバスは、おそらく中古車だと思うけど、日本や韓国のバスが多く走っている。日本製なら日産ディーゼルのバスで、側面にはモンゴル国旗と日本の日の丸が書かれている。
モンゴルは日本じゃ相撲でモンゴル人力士が活躍しているから割と親日的で、どこぞの発途上国のように毎年無意味な反日キャンペーンは行っていない。そういや他人の新聞を見たら朝青龍っぽい力士とモンゴルのお偉い方が一緒に写っている写真が掲載されていた。

モンゴルのトロリーバス日産ディーゼルのバス。日の丸が描かれている
トロリーバスの中トロリーバスの中

モンゴルは中国からだと中国国内にある自治区を内モンゴルと呼び、こちらのモンゴルを外モンゴルと呼んでいる。内モンゴルでは公共看板や店の看板に必ずといっていいほどモンゴルの言葉が書かれており、国内に住んでいるモンゴル族に配慮しているが、こちらのモンゴル人同士の会話はモンゴル語なのだが、残念ながら数十年間ロシア(旧ソ連)の衛星国家であったため、長い間キリル文字を使用しており、モンゴル文字はほとんど普及していない。そのため、今になってモンゴル文字を普及させる機運が高まり、内モンゴルから専用の講師をたびたび招くことがあるという。

ウランバートル駅 そうこうするうちに、駅へ行くバスが来た。T4と呼ばれるトロリーバスで、Tの呼び方はロシア語でトロリーブスと呼ぶ。英語読みと余り変わらないような気がする。
バスは渋いおんぼろトロリーで、ロシア辺りからのお古を整備しながら、だましだまし使っている感じだった。長さは北京辺りの最近のバスと同じようだが、扉が前、中間、後ろと付いている。本数が少ないため、また市内では自転車に乗っている人を見かけないためほとんどの人は市バスしか利用できす、そのためバスは何時も混んでいる。
今回のバスは乗客が少なく、スリを警戒して財布をかばんの中にしまったが、事なきを得た。ここから市内までは100tg=10円で行ける。車掌が付いており、車掌室?は運転席の隣で、乗客のいる場所とはガラスの壁で区切られている。

モンゴル車輌 ウランバートルの駅に着いた。ここはK23次の旅行記にも書いたが、出入りは自由で、ホームでの撮影も問題はない。駅自体も小さいのですんなりホームに行ける。
ホームではこれから中国方面、ロシア方面に向かう列車が来ていた。大勢の乗客が1番ホームに詰め掛けていた。列車はゆっくりと凸型ディーゼル機関車に牽引されていた。随分長いなと思ったら、一度切り離し、中国へ行く客車とロシアへ向かう客車と分けた。この牽引してきた機関車は入れ換え用の機関車で、側面にはジンギスカンのイラストが描かれている。本線を走る機関車は□型の永久重連タイプだった。カラーは見ただけだと4種類で、茶色、緑色、青色、白色とある。

入れ換え用機関車  ジンギスカンの絵

ウランバートル局烏段? ホームを西側に歩いてそのままホームから線路に下りる。線路に下りることができるのも問題はない。自己責任でという意味合いが強いのか。
ここから先には客車区がある。それもちょっと見てみたいという好奇心で線路の上を歩いていった。横から汽笛を鳴らしながら先ほどの凸型機関車が通過して客車区に向かっていく。客車区はホームから歩いて3分程だが、残念ながら監視つきなので中に入ることはできない。モンゴル語で何言われても全く聞き取れないからホームに引き返した。線路上にはまだ今朝降った雪は残っており、更に粉雪も舞っているので相当寒く、人の多いところに出たほうは暖かいだろうと思った。

9時近く、東側から列車が来た。多分国境のザメールドゥから来た列車なのだろう。乗客の多くは一人では持ち抱えられないほどの荷物や物資を車輌から運び出していた。ホームには出迎えの家族や仲間、そして運搬業者が大勢待っていた。
モンゴルは元々が国民の大半が遊牧民ということもあり、主力産業は酪農で、農業も行っているだろうが恐らくは自給自足だろう。そのため、まず都市に住んでいる人たちへの生活品は国内生産だけだとやって行けず、どうしても輸入物に頼らざるを得なくなる。実際スーパーに並んでいる食品の大半は中国や韓国から輸入されたものだった。

ザメールドゥから来た列車  車輌から夥しい生活物資が運び出される

ウランバートル駅俯瞰 またウランバートル自体も大きな都市ではなく、人口も多くないので、国民の購買力は高くなく、商店の規模は小さく発展は望めない。一応、この寒い時期も野菜や果物を売っている小さい商店は幾つもあったが、それが首都ウランバートルということで、もしかすると他の都市では野菜などを入手するのが困難になるのではないか?とも考えたくなる。
そのため、中国やロシアから生活物資を運んでくる運び屋(商人)はとても重要で、何もないモンゴルは必然的に輸入で其の場をしのいでいるという感じもする。こういう現状を知ってしまうと、同じ食料の輸入大国でも我が国の有難みが嫌でも感じ取れる。

切符売り場 次は切符売り場に行く。建物は駅を背にして右手にある。金曜日ということもあるから、中は人でいっぱい。時刻表は壁に書かれているのみで発売は行っていないが、時刻表自体、数字以外は全く読めない。これじゃ自力での切符購入は無理だと感じ、ホームでの撮り鉄も十分満足に行ったので、あずさやまで歩いて戻った。20分位で着くので駅から約2キロ程でしょう。

ガンダン寺 午後は、西に歩いて10分のガンダン寺に行く。この寺はラマ教で、建物の様式はチベット仏教と同じ。幾つもの小さい寺にはマニ車が置いてある。市内に住んでいるモンゴル人は無料で(お布施をしてくれるため)、外国人には入場料2000tg(約200円)かかり、更にメインの建物の中も参観料がかかる。さらに写真は5$かかる。
観光客というか参観客はモンゴル人が多く、外国人は私ぐらいしかいなかった。
午後から天気は回復し、暖かい日差しがウランバートル市内を照らしている。

あずさやには18時半近くまでいて、あとは歩いて駅まで向かった。この時間帯は道が渋滞しており、歩きでもバスを数台抜くことができたので、20分程でウランバートル駅に着いた。
ウランバートル駅に着いて、待合室に入る。この待合室はホーム側からしか入ることができないので、注意が必要。また発車する列車は全てキリル語で英語や中国語での案内はない。辛うじて英語でインフォメーションがあったが、聞き取れたのはフフホトくらい。
ホーム上のレールは3本しかないので、待っていてもいずれは分かるだろうが、人が多く、もう真っ暗なので、ちょっと不安になり、案内場でたどたどしい英語で、フフホト行きの列車はどこに入線するか聞いた。2番ホームと英語で返ってきた。
うーむ、やはり英語は習っておいたほうがいいのか。中国語は多分ここでは理解できない言語であろう。

発車40分前に列車は駅に入ってきた。乗車する列車の切符にあらかじめ、2号車と指定されているから、車輌の表にぶら下がっている、番号札でどの車輌かは分かる。サボを見ると全く読めないが、フフホトだけはなんとか文字の数で分かった。車輌はロシア系モンゴル車輌であるMECT36+謎の車両だった。私はこの謎の車両に乗る。
モンゴル人車掌に切符を見せて入ると、いきなり下段ベッドのみの2人用の高包が!!そして隣も、隣も、隣も・・・と続いたので、もしかして・・・と淡い期待を抱いたが、残念ながら5部屋目から4人部屋だった。ショック・・・。どうやらこの車輌は高包と軟臥の合造車で、2人部屋は4室、4人部屋は5室あり、定員は24人乗車だった。後のつくりは、K23次のYW18辺りと変わらない。

モンゴル合造車内部
高級軟臥硬臥(包)
外側通路

モンゴル側の車輌は、一番豪華がMECT18で、これは18人乗車できるから高級軟臥扱いになる。
中国側のRW18に匹敵する車輌はモンゴルには存在しない。
次に豪華なのはMECT36で、これは36人乗車できるYW18硬臥(包)と同じと思っていい。なんちゃって軟臥である。
モンゴル国内の列車のハイグレードな車輌として扱われており、大体1列車に2輌連結されている。

RW19=MECT18
RW18=無い
YW18=MECT36

最後はMECT54?でこちらは中国製の6人乗車硬臥と同じ造りで、54人乗車できる。国際列車では中国側の二連までは引っ張られていく。

昼間の列車の乗務員たち 初めは誰もいなかったが、発車直前大勢の乗客と見送りの方が大勢車内まで来た。フフホトまで行く2つの車輌は全部埋まった。

この日は、何故か同じ車輌に病人と怪我人がいて、病人は医師に付き添われ、中国側フフホトの専門病院に治療で連れて行かれる。部屋は安静と点滴のため高包だった。次は足を怪我した方で、こちらは右太ももを骨折してしまい、奥さんと一緒に同じくフフホトの有名な病院に行くそうだ。こちらは何と同じ部屋だった。足を骨折しているから席を替わってくれないか?と奥さんに頼まれ、私もかつて骨折して3ヶ月休んだことがあるから、その気持ちは十分に分かるので、席を替わってあげた。

モンゴル列車の無料朝食 列車は20時過ぎに発車して、ひとたび市街地を抜ければ直ぐ真っ暗となり、車輌の周りが分からなくなる。発車して10分後、車掌は切符を回収しに来る。個室のドアノブには殺菌液で浸されたタオルが巻いてある。シーツカバーは、行きと同様に乗務員から渡されて、それを自分たちで掛ける。
その後、車掌自ら級湯から人数分のカップに注いだお湯を持って紅茶をどうぞと、各部屋を回った(紅茶代はフフホト近くで4元払う)。そして30分後には食堂車が連結していないからとその日の晩飯代わり?を配りにやってきた(こちらは無料)。中々気前が利いていて、とてもいい感じに見えた。車掌は2人いて、それぞれある程度年齢のいっている男女だが、ベテランといった貫禄が出ている。年齢だけとって、働かないどこかの国の列車服務員とはえらい違いである。

同じ部屋のモンゴル人の方と話すが、基本的に英語、中国語しか思いつかない私は結構苦労した。しかし、怪我した方の姪っ子が丁度日本に留学していて、彼女が日本から携帯電話で送った写真を同じくこちら側の携帯電話で受信した写真を見せてくれた。
どこかの遊園地ぽかったが、その方がフジフジ・・・というから、ああ富士急ハイランドねと教えてあげた。
当たり前だけど、昔からの歴史で中国人(特に漢族)とモンゴル人は決して仲が良いとは言えず、中国北京ではモンゴル人は馬鹿にされ、モンゴルでは中国人を激しく嫌っている風潮がある。日本じゃ第3国の関係ないニュースはほとんど入ってこないが、ウランバートルで漢族が襲われることはよくあるようだ。内モンゴルのフフホトなら同族が多く住んでいるから皆行きたがるようだが、北京や上海などには絶対に行かないだろう。

周りが暗いので昨日見た俯瞰ポイントも全く分からず、22時ごろ消灯になった。

モンゴル車輌の描かれているカップ 翌朝起きたら既にザメールドゥに到着直前だった。あわてて、昨日貰った食事を食べる。朝もまたお湯と紅茶のサービスがあった。お茶のカップにはモンゴル車輌のイラストが書かれている。
そういえば、最近中国の軟臥にはお茶カップが無いな?とあれこれ推測する。ひょっとするとお金持ちが増えて軟臥に乗車する中国人は増えたのだけど、民度の低さは相変らずで、カップを無断でお持ち帰りする(窃盗)する輩が増えたから、鉄道部は軟臥にカップを置かなくなったのではないか?と邪推してしまう。

車掌が出国カードと中国への税関用紙を配りに来る。中国の税関用紙はモンゴル人への嫌がらせとしか思えないくらい全て漢字で、モンゴル語・キリル語はおろか英語すら書かれていない。意外な場所で大国の狭量を見てしまって残念に見える。
だから中国語を知っている私に皆から質問が来る。列車に乗車しているモンゴル人の幾人かは英語が堪能で、それをいちいち英語で返答しなければいけないから大変だった。

ザメールドゥの駅舎 8:35、列車は少し動くが、恐らくザメールドゥ止まりの列車を切り離したのだろう。
中国国内とモンゴル国内の列車番号は違い、例えば、モンゴルにある旅行会社に列車チケットを注文するときは必ずモンゴルの列車番号を言わないといけない。私はフフホト行きと言いようやく買ってもらった。

ウランバートルから国境:ザメールドゥまでは33(号)、恐らく列車の半分の車輌はこの駅で終点。
ザメールドゥから中国:二連(エレン)まで682次、列車の数輌はここまで引っ張ってこられる。
二連から呼和浩特まで4601/4次となる。ウランバートル発の2輌の客車は、中国国内の列車と連結される。

8:40、モンゴル係官によりパスポートが回収される。
8:45、密航者がいないか警察による車輌チェックが行われる。前回同様、天井裏、ベッド下も確認する。

その後パスポートを返してもらい、いよいよ中国の二連に向けて出発。ちなみにこの間全くトイレに行けないが、更にあと2時間は我慢しなければいけない。トイレに行けるのはザメールドゥに到着して10分少々の時間だけだ。

  

再び、中国の国境の門を通過し、10:45二連に到着。二連はモンゴル語だとエレンと呼ぶ。アーリィェンは中国語読みだ。ちなみに内モンゴルのフフホトもモンゴル読みだ。ただし中国人にフフホトやエレンと言っても通じないので要注意。

係員は前回同様の人だったが、向こうはこちらを覚えていないようだ。
パスポートチェックを行っている際、係員はモンゴル語は喋れないようで、全て英語・中国語で乗客とやり取りを行っていた。
無事全員の入国許可が出たが、まだホームに下りられず、そのまま車内で待機しているところへ、二連止まりの車輌数輌が切り離されて、別のホームに移った。こちらに乗車している乗客もまだ下りられず、そうこうして行くうちに、私の乗車しているフフホト行きの2輌の車輌が、台車交換のため、そのまま交換場の建物の中に入っていく。どうやらモンゴル側から来る車輌は、乗客を缶詰にさせたまま台車交換を行うようだ。

今回は2輌なので、作業は手短に行われた。
ジャッキアップされた車輌の下から台車が作業員の手によって車輌の外側に出され、それを何とクレーンで持ち上げて隣の線路に運び、別の隣の線路から中国用の台車を運んでレール上に載せる作業を行う。
その作業中、交換場の中のトイレを使用させてくれるようで、幾人かの乗客は車輌を下りて、トイレに行ったようだ。もちろんどさくさに紛れて外に出てもお咎めは一切ない。ただし禁煙区間なのでタバコを吸おうものなら注意される。
台車交換が終わると、1輌車輌がこっちに向かってきて、連結された。YW18Aでこれは後で知ったのだがどうやら宿営車であった。
3輌の客車はそのまま機関車に押されて、途中二連−フフホト間を走る車輌を連結してそのままホームに入っていく。二連止りのモンゴル側の車輌には、これからモンゴルに行くであろう中国の客車が連結してあり、左からRW18(多分宿営車)・YW18A・YW18Aで、後ろはモンゴル車輌だった。こちらの乗客は全員既にホームに下りたようだ。

二連の台車交換

列車は推進で台車交換に入る
台車をクレーンで持ち上げて装着させる線路上に持ってくる
モンゴル側と中国側の線路の幅は9センチ、モンゴル側のほうが長い車輌から外に出た
工場内部宿営車になるYW18Aが来た

列車がホームに着いて、こちらもようやく解放されたといっていい。みな、トイレや買い物をするために二連駅舎に歩いていく。私も行った。
二連駅ではその頃、中国の列車番号に変わった4601/4に乗車する乗客の改札が行われていた。中国側の車輌の内訳はXL25B×1、YZ22・25B×4、YW22B×2で硬座が圧倒的に多い。

二連駅の中では、免税店兼スーパーが入っており、値段はここの地域の物価を反映してか、安い。ホームに戻る際は、切符を持っていなかったのでちょっとトラブルになりかけたが、英語でまくし立てて、何とか切り抜けた。まあ駄目だったら同じ車輌のモンゴル人がまだ買い物をしていたので、彼らに助けてもらうことも出来た。
どうやら、駅舎に行くときは一時的に車掌から切符を返してもらうようだ。出なければ、頭の固い(悪い)駅員に無賃乗車と間違われて、下手すれば列車に乗車できなくなってしまう。
この辺の事情は、実際に知らないと後で困ることが多いから、国境で駅舎に行くときは、予め乗務員と相談をした方がよさそうだ。
列車はDF4Bのオレンジカラーの機関車に連結されて、二連を出発した。

モンゴル車輌と中国車輌   4601次を牽引するDF4Bオレンジ亀

二連を出た列車は普快のため、途中よく停車する。天気は中国に入ってから、良いとは言えず、曇り空に変わっている。この間はずっとベッドで寝ていた。

途中、夏季運転の北京−ウランバートルのK23/4次列車とすれ違う。
夏季時、K23次は周2本運行され、この日見た車輌はキリル文字サボだったので、モンゴル側車輌だろう。
ただ残念なことに、10月20日からK23/4次は停運に入り、何時復活するのか−早ければ来年の春節?−は分からない。

集寧南に着いたときは、18時を回っており、あたりは再び真っ暗になりつつある。列車はこの駅で向きを変えて、今まで前方にいた国際車輌は後方になる。
集寧南からフフホト間は複線で、5分に1回は貨物が通過する。牽引機は単機ならDF8B、重連ならDF4Bの緑色が牽引する。

フフホト駅に到着 21時過ぎ、列車は無事にフフホト駅に到着。病人患者が優先的にホームに下ろされ、我々はその後に続く。
フフホトは初めてで、駅看板や標識などには皆モンゴル語が書かれている。街そのものは中国だが、必ず目にするモンゴル文字により、どこか異国を感じさせるようだ。
ホテルまではタクシーで行き、部屋に無事着いた途端、雨が降ってきた。

翌日はフフホト発のK90次で北京西まで戻ったが、軟臥クラスの以上の車輌には、乗務員がモンゴル衣装を纏って、仕事を行っていた。中国側の列車の方がモンゴルを彷彿とさせる演出が上手く感じた。

今回は、行きと帰りと違う列車に乗車したが、それぞれ国際列車として独自の面白みが出ている。K23次は中国北京から派遣されるイメージを持つ、いわば外交官的な列車で、車輌の造りもそれなりに豪華。また普段お目にかかれないスイッチバックや長城を車窓から堪能することが出来、乗りごたえがある。
4601/4次は外モンゴルと内モンゴルを結ぶいわばモンゴル人の生活を担う生命線の列車で、モンゴルの国内事情を考慮すれば、決して華やかとはいえないが、モンゴルの方々からいろいろお世話になり、モンゴルの人情を噛み締めることの出来る列車だ。また車輌もいつも見ている中国車輌とは一味違う、ロシアっぽい雰囲気がさらに旅情をかきたてる。

もし来年夏時間が出来るようなら、私は再び列車でウランバートルまで行き、緑豊かな草原に囲まれたヘアピンカーブを走る列車をもう一度撮影したい。



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