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K23次、北京−ウランバートル国際列車編

06年10月3日〜10月4日乗車 著者:ボーゲン管理人

*文章および画像は著作者にあります。したがて無断使用は厳禁!!

モンゴル国内のK23次

モンゴルウランバートル近く 吸い寄せられるような透き通った青空。
絨毯のように敷き詰められた一面の草原は秋から冬への変貌を表すかのように茶色から黒ずんでいる。遠くに羊や牛の群れが小さく目に映り、遊牧民のテント(ゲル)が点点とあった。
荒涼とした丘陵と呼べばいいのか、その土肌の上を蛇のようにうねるように敷かれた線路に、強い日差しに照らされた車輌列の影が綺麗に写る。
小柄で年季の入った中国人乗務員が、ニコニコしながら、各部屋を回りながら(といってもこの車輌の乗客は3人しかいないが)、“後45分でウランバートルだよ”と告げに来た。
−そうここは中国ではない。中華から北へ、遥か塞外の草原の国、モンゴルに来ているのだ−

【乗車するきっかけ】
きっかけは、当サイトのコンテンツ、“中国発国際列車”を作成している際、ビザ関係を調べていたら、在日モンゴル大使館ウェブサイトで、
06年はモンゴル生誕800周年記念と称し、06年4月1日−12月31日の期間は、「日本人は30日以内のビザ免除」の案内を発見したときだった。
おっ、今年はモンゴルに簡単に行けるんだなぁ、とモンゴル行きに興味を持ち始めた。
幸い現在は時間があるし、10月の国慶節には、みんなチベットや敦煌(それぞれ今年夏に列車が開通)に行くだろうから、この隙に秋が終わりかけている、モンゴルにでも列車で行ってみるか、というのが今回の思い付きだ。

【切符購入のあくせく】
K23次:北京−ウランバートルの切符 早速、切符を北京の旅行会社に依頼。乗車する列車はK23次:北京−ウランバートル。
夏季運転(7月−10月半ば)は火曜日と金曜日の週2回、発車している。
乗車する座席の目星は付いている。ズバリ、高級軟臥だ。
私が中国鉄道の時刻表を見始めたのは95年からだが、この頃は列車にどの種類の車輌が連結されているか表示されていたため、どの列車が凄いか、高級か直ぐに分かった。
当時は国際列車のみ、高級軟臥(高包)と呼ばれる車輌が連結されていた。しかも行き先は限られていて、ロシアのモスクワ行きか、モンゴルのウランバートル行きのみに連結されていた。
当時は、高級軟臥がどんな造りで、どれだけ高級なのか想像できなかった。
それから11年経ち、私は数多くの高級軟臥に乗った。おそらく親が見たら呆れるほど、中国鉄道の高級軟臥に乗っている日本人は私ぐらいなものだろう。
また数回、中国鉄道博物館も訪れ、そこに展示されている、初代高級軟臥“RW19”も見て、大体こんな感じなのかも想像できた。むしろ、最近出来た高級軟臥の方が、空調付で快適な乗車を送れるだろう。
しかし今回私は敢えて、中国鉄道にきっかけを持った当時の高級軟臥に乗車してみたく、旅行会社に無理矢理頼んだ。寒いから誰もモンゴルには行かないだろうと思っていたが、やはり国慶節中に出発なので油断はできなかった。
K23次に取り付けられている中国の国章 初め旅行会社から来た回答は、高包は有りませんの一点張りだったが、そんなことはない!絶対に切符発売制限を行っているだろうから、もう一度良く確認しろ!と強くごり押しした。
そしたら、直ぐに発券が必要となってしまいますが・・・、と返事が来た。ビンゴだ!!当然、直ぐ発券をお願いする。
さすが担当の北京鉄路局、今回も切符発売制限を行っているとは・・・と今回も己の鉄引力に感心した。

当時私は北京には居なかったので、北京発国際列車の切符を購入するには、旅行会社を通す方法しかなかった。自力で買うなら、北京駅の1階軟席候車室にある=国際列車切符売り場と書かれている窓口で買う方法しかなかった。ちなみに何日前から発売するかだが、私の予想だと、乗車20日前から発売開始になり、高級軟臥は発車一週間前辺りから発売になるのではないか?
また途中の中国国境である二連(エレン)行きの切符(硬臥包のみ)は北京駅切符売り場の1番窓口で受け付けていることが多い。
ともかく、これで当時から気になっていた、高級軟臥に乗車することが出来る事となった。

【列車乗車】出発前夜北京駅
朝6:30、北京駅前のホテルをチェックアウトし、5分足らずで北京駅に入った。国際列車の出発時刻が、朝7:40と割と早いので、国慶節期間、北京駅前広場で混乱が起こるのが嫌で前もって予約しておいたのだ。
朝とはいえ、帰省する乗客や、旅行に出かける乗客。また北京に来た乗客で既に人人だらけだが、まだ身動きできる分ましか。下手をすれば、駅構内に入ることすら15分は軽くかかるだろう。
駅構内に入って、直ぐ電光掲示板を見る。どうやら今日乗車するK23次はきちんと運行するようだ。
実は、北京−ウランバートル間の列車は今年、1度だけ停運をした事がある。
6月の頭から20日まで、両国の協商がまとまらず停運(北京から、ウランバートルから、それぞれ二連止まり)になっていたが、何とか期限付きで再開された。その期限とは10月10日・・・。恐らく停運にはならないと思うが、なにせ突然変わるお国柄のため、ヒヤヒヤするニュースだ。

荷物検査を終えて、右に目を向けると、新しい第2の軟席候車室が出来上がっていた。これは軟臥中心のZ列車を利用する乗客に対処するため、今までの切符売り場を移して、そこを新しく変えたものだ。案内だと、全てのZ列車乗客は第2の軟席候車室を使うように書かれている。
今までの第1候車室はZ列車以外の乗客が使えるようになった。

北京駅第2軟席候車室 北京駅第1軟席候車室

北京駅から国際列車に乗る場合は、第1の軟席候車室に向かうが、入り口手前で切符の改札を行う。中に入ると今まで、座席が多かったのが、第2軟席候車室ができたお陰で、椅子の数が減り、ちょっと高級っぽく見えた。
すでに候車室内は同じ乗車するお客でいっぱい。おそらく硬臥包(YW18:4人部屋36人乗車)の乗客もここから乗車するのだろう。ほとんどが帰省するモンゴル人のようで、全く聞き取れない会話をしていた。また欧米系の乗客もチラホラ見かけた。

北京駅1番ホーム 7:30発の秦皇島行き特快の改札表示が終わり、5分後、ウランバートル行きの列車案内が出た。大体発車40分前だ。列車は1番ホームに停車しており、乗客は軟席候車室からそのまま列車に乗り込める。車輌カラーは緑皮車と呼ばれる緑色に黄色の帯で統一されており、各車輌の中間に中国の国章が備え付けられている。私の乗車する車輌は6号車で、丁度食堂車が隣になっている。
格車輌の入り口には男性の乗務員が立っており、いかにもといういかつい顔が揃っていた。国際列車だから威厳を示すものかは定かではない。彼らに切符を見せて、いよいよ列車に乗り込む。

国際列車の切符は中国国内の列車とは違い、4枚つづりになっており、一番上には乗車車両、寝台場所、パスポートナンバーと自分の名前がローマ字で記されている。中間の2枚には、乗車料金と寝台料金に分かれており、合計で949元になっている。別に手数料50元がかかり、合計で999元かかった。999という文字が某漫画の列車タイトルみたいだ。
このとき、なぜかスイスフラン(瑞士法郎)での売価も書かれており、なぜスイスかは分からない。一番後ろはキリル文字(ロシア語)で何か書かれているが解読は出来なかった。


車内は中国鉄道博物館で見たRW19と全く同じ内容だった。
それは今の高級軟臥の造りに通じている−各部屋の内容は上下2段ベットと片側は大型ソファーと、隣の部屋と共有する洗面台が有る。室内は赤っぽい木目調パネルで統一されており、Z列車に連結されているRW19Tより一層高級感を演出している。
ベットやソファーには肘掛が付いていて、またベットの上段に上る足掛けは折りたたみ収納式である。上段ベットは使用されない場合は上に上げたまま止め金で支える。ベットの下には荷物を収納する箱がある。
RW19:高級軟臥内部其の1
高級軟臥室内1 高級軟臥室内2 高包2部屋共用洗面台
高包の足掛け  K23次サボ

これらの造りには全く持って無駄がない!欠点を強いてあげるなら非空調車輌な事ぐらいか。後付け改造でも取り付けて欲しかった。電気自体は列車が走っている間、下の車輪の回転から電気を発生させる車軸発電を用いているので電力不足にることはない。ただ空調用には使えないだろう。あとこの車輌に乗降口にはボイラー室が備え付けてあり、冬季の暖房やお湯を沸かす際は、石炭で加熱する仕組みになっている。ボイラー室の裏は当然給湯機がある。

RW19:高級軟臥内部其の2
RW19給湯機 RW19ボイラー室 RW19トイレ

定員は16人乗りで、通路にある個室は9部屋。8部屋は乗客用で、残り1部屋は電気を調整する部屋だ。トイレは左右両脇についている。部屋番号はギリシャ文字で、TUVW・・・と記されている。
車輌の長さは24.5mとかつて旧東ドイツで製造された24系客車と同じ規格であろう。後で知ったのだが、この車輌はドイツのDWA(徳阿)という所で95年に製造され、中国の青島四方辺りに持ち込まれたようだ。
今で言う、北京−上海のZ列車に使われているボンバルディア(BSP)製のRW25Tのような扱いだろう。中国製とは違い、外国で基礎設計された車輌だから、質実剛健。より重厚感溢れる車輌となった。個人的に言えば、Z列車のRW19Tより質感は10倍出ていると思う。このあたりの車輌造りの上手さはドイツならではでしょう!

私の後に続いて乗車した乗客は、モンゴル人女性と台湾人ビジネスマンだった。結局は、この3人が31時間、同じ車輌の中で過ごすことになる。
ちなみに北京−ウランバートル間の距離だが、1561キロと上海より遠く杭州よりは手前だ。中国国内なら15時間で走りそうだろう。しかし、この列車はスピードアップとは関係なく、30時間かけて走る。もちろん出国入国という手間もあるから一概に遅いとは言えないが、たまにはのどかにのんびり走る高級な列車に乗車してもよいのではないか。

【列車紹介】
北京−康庄まで牽引する機関車DF4D まだ発車まで時間があるから、先頭の機関車を撮影するついでに、各車輌もつぶさに見て回る。
機関車は水色とクリーム色のDF4Dで、国際列車なためか、国旗入りのヘッドマークを付けている。この機関車は、北京〜青龍橋〜康庄まで牽引するいわば専用機で、青龍橋〜康庄まではスイッチバックの都合もあってか、押す形となる。所属は京局懐段(懐柔)。北京から北に向かう機関車はみな懐段だ。

K23/4次は15輌編成で、両端の荷物車と真ん中の食堂車を除けば、全て寝台車になる。
寝台車の種類と内訳だが、
RW19×2、RW18×2、YW18×8となる。
RW19は上記で紹介済みなので、ここでは省略しておく。

RW18はRW19と同じ規格で製造された32人乗車用のいわば軟臥で、4人用8つのコンパートメントの部屋を持つ。車輌の数は決して多くなく、国際列車でしか見ることが出来ない車輌であろう。

YW18だが、これは珍しい1部屋4人乗車の硬臥である。きちんと個室の扉も付いており、見た目は軟臥と変わらない。軟臥と違う部分を挙げれば、乗車人数が36人と4人分多く、ベットの幅は軟臥より狭い事ぐらいであろう。とは言っても国内向けの1部屋6人乗車硬臥よりはぜんぜん快適だ。切符の種類でも硬臥包と書かれている。価格も一番安い。

車輌番号だが、基本的に乗車できる客車のみに付いており、全部で11。真ん中に連結している食堂車(CA18)とYW18は国境の二連止まりで、このYW18の方は車輌番号が0になっている。
それ以外は全てモンゴルまで行くのだ。

K23/4次編成表

【列車発車】
ホームは各乗客の見送り客でいっぱいだった。やはり同じ車輌のモンゴル人女性も、台湾人ビジネスマンもそれぞれ関係者の方から見送られていた。

列車は定刻の7:40発車。発車時に流れる華やかな曲が流れに合わせて、列車はゆっくりと発車する。朝もやから丁度太陽が出てきており、ホームの端を照らし始める。
中国の列車出発時のスムースさは、おそらく優秀な部類に入るのでは?というくらい素晴らしい。立っていてもぐらついてこないのは、相当訓練されているといえよう。
列車は下から鈍い音を立てながら、車体をくねらし、本来の進むべき線路に入っていく。車体の色が緑色だから、傍から見れば巨大な龍が動いていているような気がする。龍といえば中国を象徴する架空の生き物だ。この列車は遥か北の国、モンゴルまで飛ぶさながら飛龍のような感じだろう。

列車から見た居庸関 元々モンゴル人女性と同じ部屋だったが、乗員が私を含めて3名ということで、中年小太りな乗務員が各自1個室に割り当てられるよう取り計らってくれた。外見に合わず随分親切だ。この列車には乗務員は2人担当し、もう一人は若干若いが、性格はまあまあなようだ。
もっとも空いている個室は彼らの仮眠所となっていたので、乗客が少ないことは彼らにとっても都合がいいのか。
切符は乗務員に預けるが、普通の夜行列車のように乗客の身分証に照らした登記は行わない。これはこれで手間が省けていい。

列車は真っ直ぐ東に進み、北京東駅を通過したら、京包線(北京−包頭)に入り、北上する。その間に乗務員がシーツを配りにやってきた。今の列車はベットのシーツは雑務を担当する従業員が行ってくれるが、国際列車では自分でやらなければいけないようだ。
シーツにカバーをかけるなんて不慣れな作業だからあくせくしながらどうにか終えて、外を見ると地下鉄13号線が位置の間にか併走している。地下鉄13号線は現在東直門と西直門を北に迂回しながら結ばれており、京包線は一時、この地下鉄と併走する。この地下鉄、終電が早く不評だったが、最近は夜23時近くまで延ばされ、割と便利になったみたいだ。
流れる風景を見ながら、前日の夜にわざわざ東直門まで出向いて、7.11で買ったお握りを食べた。北京の7.11は日本のIYグループの流れを汲んでおり、香港や広州などといった広東圏の7.11とは全く営業形態が違う。扱っているものが全く違うのだ。
広東圏はレンジで温める食品が多く、北京では工場で加工済みの弁当は置いておらず、おかずは店内で調理加工を行い、それを弁当にする。お握りは北京にしかない。
いわば広東圏が欧米式なら、北京は日本式といった感じだろう。だから日本人にとって7.11が北京にあることは大変ありがたい。従業員の教育もある程度行き届いている。

南口駅到着

そうこうしているうちに、列車は北京北から延びている線路と合流し、沙河を通過する。この時8:20。発車して既に40分は経っていた。
元々北京の鉄道路線は、前門が起点で、東便門を過ぎたら今の二環路(昔は城壁)に沿って、北京北駅まで行ってから北上していたのだが、今は二環路と地下鉄2号線があり、鉄道の面影は全くない。とはいえ、二環路にあるバス停:北京北站は北京北駅から離れている地名だが、本来はここの場所に旧北京北駅があった場所である。今の北京北駅は昔は西直門駅と言われていた。ここから大同や内モンゴルの呼和浩特(フフホト)や包頭に行く列車が出発しており、今でも数は少ないが発車している。
ルートは北京北(北京)−南口−青龍橋−八達嶺−沙城−張家口南−大同。余り知られていないが100年の歴史がある路線だ。

8:29、昌平通過。昌平を通過して、いよいよ山が見えてきた。
8:37−50、南口停車。ここで、青龍橋−八達嶺越えに必要な補助機関車が後ろに連結される。

南口を発車した列車はノロノロ運転で、山に向かってゆっくり進んでいく。おそらく勾配があるのだろう。途中の青龍橋ではスイッチバックがある。

長城

10年前なら大同や内モンゴル方面に行く列車は必ずこの地を通過していたのだが、青龍橋で一旦スイッチバックを行わなければいけないという手間があり、列車のスピードアップが叫ばれている中、バイパス路線である豊沙線(豊台−沙城)が開通すると、主力の列車は全部豊沙線経由となり、それ以外の列車は相変らず青龍橋で必ずスイッチバックを行う。いわばスピードアップとは無縁の世界である。モンゴルやモンゴル経由ロシア行きの列車はこの地を通過するので、意外と貴重な列車かもしれない。

線路の近くを高速道路が走っており、大勢の観光客を乗せたバスが何台も列車を追い抜いていく。今は国慶節だから、地方から来た観光客は必ず八達嶺(長城)と明の十三陵に向かう。この時期は何処も彼処も人でグチャグチャで、のんびり観光どころではなさそうである。

9:08、北京北の最後の防衛ラインであった居庸関を通過。ここは線路の目の前に道路を挟んで関所があり、見た目は長城と変わらない。列車がカーブしているところをカメラだけ出して撮影したら、遠くに長城が写っていたから何処だろう?と思ったら、居庸関なので、八達嶺はまだまだ奥なんだと思った。意外と遠いものだ。

列車は相変らずトロトロとおよそ時速20キロほどで走っているが、長城に近いのか、ちょっと開けている場所には観光バスというバスで埋め尽くされている。そして、遠くの方に長城が見えたが・・・、ゾッとするくらい人でびっしり埋められていた。身動きは恐らく取れないんじゃないだろうか?というほどの混雑振りだった。もちろんこういった日に長城に行けば観光どころではなくなるのは明らか。北京市民はこういった日は出かけないそうだ。当たり前か。

列車が思いっきり、左にカーヴした。上り線も右に消えて行った。もうじき青龍橋に到着する。この列車第1のハイライトであるスイッチバックだ。
青龍橋に到着したら、一旦体を伸ばすためホームに降りた。残念ながらここからでは長城は見えない。駅自体は割りとのんびりしていて、70年代〜80年代の中国をそのまま表している感じだった。ここで北京からの機関車が補助機関車になり、南口からの補助機関車が先頭となる。

9:30、列車は青龍橋を発車し、世界遺産にも登録されている八達嶺へと向かっていく。が八達嶺は丁度、列車のトンネルの上にあり残念ながら姿を拝むことはできなかった。
八達嶺を抜けると、今まで山に囲まれていたのがウソのように、あたり一面畑で広がる光景に出くわす。黄色に変化しつつある葉っぱが秋の到来を予告している。
列車は徐々にスピードを上げて、やや寒くなった北の大地に向けて加速し始める。
フランス製8k-1 康庄というところで、ヘッドマークを付けた北京からのDF4Dは切り離され、南口から補助機関車であった別のDF4Dが大同まで牽引していく。
列車は沙城で豊沙線と合流する。架線が張ってあるので、電気機関車の通過が多く、8Kと呼ばれるフランス製の永久連結重連タイプの機関車が、大同から豊台まで、山西省から産出された石炭をしょっちゅう運んでいく。8kは豊沙線の専用機で数かなり多く、恐らく5〜10分に1本は貨物とすれ違っただろう。
宣化を通過。ここは入れ換え用蒸気、上遊が走っているはずだが、姿かたちが見えず、何故かピカピカなGK4が・・・。まさかとは思うが、今回は目に入らなかっただけだと信じたい。

11:42、張家口南を発車。
張家口南駅 青龍橋から列車が逆向きになり、個室は陽の当たる場所となった。直射日当になるので、非空調車輌は相当暑い。乗客がいないだろうから個室のドアを開けて、通路側の窓を開けて空気の入れ替えを行った。日の光が個室内部に張り巡らされた赤木目調パネルを嫌でも強調する。晴れた空の中で、内部を見回すと、改めてこの車輌は造りが豪華だなあと感じた。

列車は西に向かって進んでいる。まだ河北省内にいるのだが、周りの山は全てはげ山で、木が1本も無い。なんでこんな状態になったのか分からないが、少なくとも空気は良くなかった。
次の停車は大同だ。まだ停車には時間があるので、食事をしに食堂車へいく。食堂車の形式番号はCA18で、国内で製造されたものである。一応食品を管理するため屋根に自家発電の空調が備え付けられている。しかし、調理をする際の燃料は石炭で、外に出ていれば屋根から石炭の香りが漂ってくる。
この食堂車は二連まで連結され、そこから先はモンゴル側の車両を付け替える。さすがに食事は違う国ではその国に沿った料理が出されるようだ。確かにモンゴル人やロシア人から見れば、脂っこい中華が何時までも食事の際に出されるのは我慢できないだろう。
食堂車の内部は期待していたほど大したことはない。メニューも少ない。乗務員が英語が使える程度なものだ。

CA18  CA18内部
席は同じ車輌の台湾人ビジネスマンを相席になった。彼は骨付き鶏肉を食べていたが、紙を下に敷いて、鶏肉のカスや骨を丁寧に載せていた。さすが文明の発展している台湾のことだけあり、非文明国家とはまるで違う。まあ私もテーブルマナーはできていないから非文明国家のことを言える筋合いはないのだが。
食事中は台湾人と話をした。彼は台湾台東の衣類会社で重役を勤めており、今回はモンゴル人が彼の工場で働けるか視察に行くそうだ。元々は彼の工場はフィリピン系やベトナム系が多かったらしいが、最近は人手不足になっているみたいだ。
「モンゴル人を雇うにも、ウランバートルから飛行機で台湾まで連れて行くお金のほうがはるかに高いよ」と彼は苦笑しながら言った。ルートとしてはウランバートル−香港−台湾という感じか。
突然、彼は私にモンゴル向けのプラグを持っているか?と聞いてきた。そういや、RW19は個室内や通路にコンセント差込口があったが、規格が中国や日本とは全く違うタイプで(○穴で間隔が広い)、専用のプラグが必要となる。そういや以前なんとなく買ったプラグがあるから、使えるなら−と貸してあげた。

河北の北側の風景 部屋に戻ると彼は早速取り付けたが、肝心の電気が来ない。駄目元で、乗務員に電気を通すように頼んだらあっさり通してくれた。ここの乗務員は雑なところはあるが、対応はきちんとしているし、臨機応変に取り計らってくれるところもある。
国際列車だから乗客は賓客という教育を受けていたのかは分からないが、日本で言えばベテラン乗務員と呼べよう。中国の西や西南にある鉄道局では決して見ることの出来ない、素晴らしい逸材だ。
ちなみに台湾人と乗務員の間でやり取りされていた会話から耳を挟んだから正確とは言えないが、年季の入っている乗務員の方は勤続40年だが月の給料は1400元と想像していたよりも遥かに安い。定年退職後は年金が月に1600元入ってくるそうだが、それでも安すぎる。こういう場面を知ってしまうと、中国ではいかに人件費が安いか分かってしまう。やはり皆豊かな国に行きたがっている気持ちは痛いくらい分かる。幾ら都会では高級ブティック店や高級車がいくつもあっても、まだまだこの国は発展途上なのだ。

14:10、大同に到着。大同は山西省だが、大同に入る手前まではずっと河北省だった。
大同で、機関車の交換が行われる。新しい機関車は朱色に塗られたDF4Bで俗称“オレンジ亀”と呼ばれている。このオレンジ亀も昔は特快を牽引していたのだが、今ではすっかり他の機関車にトップの座を奪われ、地方で快速や普快を牽引していることが多い。
大同では北に向かうと非電化、南の太原に向かうなら電化は続いている。地図表で見ると、一旦折り返し区間になっているみたいだが、実際は北京から内モンゴルまでは豊沙線経由なら折り返し運転は必要ない。
大同は約1600年前に一時期、異民族であった鮮卑族の建てた北魏の首都が置かれていて、近くの雲崗には世界遺産にも登録されている巨大な仏像の石窟がある。その後、首都を洛陽に移したことにより、大同の首都としての機能は止まった。

大同駅  大同駅

14:26、大同を発車。列車は右に曲がり、北上していく。大同を出て10分ほどたつと“ようこそ呼和浩特鉄路局へ”という案内の看板が見えた。いよいよ塞外に出たのだと実感する。車窓からだと見当たらなかったが、地図上だと大同付近も長城の跡は残っている。
長城は秦の始皇帝代に造られた建造物として有名だが、実際はその前から趙や燕時代には既に北からの北方騎馬民族の侵入を防ぐために造られた城壁のことを指す。そこから先は中華の価値から見ればいわば外界の世界になり、かつては異民族と呼ばれる人種の住む地域に入ったことを示す。

次の停車駅である集寧南に向かう路線とは異なり、川を挟んで電化された単線がしばらく併走する。この路線はシュンガルまで行く路線で、つい最近までは蒸気機関車が走っていた地域だった。
葉が黄色に染まった木の間から青色に塗られた電気機関車に牽引された長編製の貨物列車が豆粒のように見えた。

いよいよ内モンゴルに向かう  シュンガル鉄路の貨物

15:15、いよいよ内モンゴルに入る。
16:13、内モンゴルの第1の駅である集寧南に到着。ここから省都である呼和浩特へ行くルートと、モンゴル国境である二連(エレン)まで行くルートと分かれる。更にこの先集通線に行くルートとも分かれる。ホームでは隣の線路に来る列車待ちの乗客が大勢いて、勘違いして乗車しようとして服務員から制止される光景を何度と見た。

内モンゴルの夕暮れ 集寧南を発車したら、列車は弧を描くかのように右に大カーブする。しばらくするとかつて集通線で使われていた前進っぽい静態保存された蒸気機関車を見た。この辺は機関区なのだろう。

18:15、陽はすっかり落ちてあたりは真っ暗。服務員が出国カードと税関申請書を配りに回ってきた。いよいよ中国を出国する時間が迫っていると感じた。窓を開けると冷たい空気が入ってきた。この時季はもう夜は冷え込むようだ。

二連が近いのか、2人の服務員はドタバタしている足音で目が覚めた。いつの間にか寝ていたようだ。暗闇の中、列車はゆっくりとスピードを落とす。遠くから近づいてくる光があるが、これは二連の貨物ヤードで、モンゴルへ行く貨物、来た貨物がいっぱい停まっていた。暗いながらもロシア語で書かれている貨物が何十輌も停車している光景を見て、陸路の国境に来たんだと実感した。
夜空を見ると噂どおり、満天の星が幾つも輝いて見れた。これは大都市では決して見ることの出来ない大自然の賜物といえよう。

夜の二連駅に到着 20:36、二連に到着。乗務員に降りていいか聞いたら発車までに戻ればいいよといわれ、トイレに行きたく、二連駅舎に飛び込んだ。台湾人が市内へ一緒に食事をしにいこうと誘ってくれたが、モンゴルへ行く乗客は駅舎から街の方へは出れなかった。
しょうがないからホームに戻ったら、隣の食堂車から後ろまでが切り離されていた。食堂車と二連止まりのYW18はここで切り離される。そういや二連で台車交換をするんだっけ。
ホームに立っている二連の駅員に聞くとじきに行うみたいで、台車交換を見たいならさっさと乗車した方がいいよといわれ、列車に飛び乗った。

【台車交換
中国とモンゴルの線路の幅はモンゴル側のほうが若干9cm長く、台車交換をここ二連で行う。ここの線路はレールの幅が太いので、そんなにスピードを出さなければ、中国の車輌も、モンゴルの車輌も難なく通過できる。
列車は脇に国章を付けた国境の入れ換え専用機関車であるDF7Gによってゆっくり牽引され、台車交換を行う建物の中に入る。建物の長さは恐らく200mほどで、列車は2分割されて入った後、今度は1輌ずつ切り離される。切り離された車輌は、それぞれジャッキアップの機械が置いてある場所に送られる。建物の中には出れないが、車輌から中の作業を見物することもできるし、写真を撮っても何も言われなかった。
ジャッキアップの作業がいよいよ開始する。まず車輌の両端を機械で持ち上げる。次にモンゴルで使われる何台もの台車が機関車に押されて、ゆっくりと車輌の下を通過していく。中国側の台車は来たモンゴル側台車に弾かれて建物の外に出ていく。中国側の台車にぶつかることにより、モンゴル側の台車は速度を落とし、何とか人間の手で止められる動きになる。
従業員が2人がかりで、それぞれ来た台車を紐のようなもので止めて、車輌と台車が合うように調整を行う。調整が終われば、再びジャッキを降ろして、車輌と台車をしっかり繋ぐ。
この間の作業は大体30分。台車交換が終了したあとは、再び連結され、入ってきた方向と反対の方向に一旦出てから、車輌が建物から全部出切った後は、再びホームへ回送される。
隣には貨物用の台車交換用の建物があるが、こちらの長さは半端ではなく、最低1キロはある長さだった。

国際列車台車交換、二連浩特
列車は機関車に揺られて台車交換専用の工場に入る  中にはジャッキアップ用の機械がズラリ
客車は1輌ずつ分割され、直ぐジャッキアップが開始される  車輌が来た反対側からモンゴル用の台車がまとめてやってきて、中国側の台車は弾かれて外に出る
作業員に2人掛かりで止められた台車は直ぐ作業員の手によって取り付けを開始される  こちら側の車輌にもモンゴル用の台車が来た
作業の終わった客車は、国境専用のDF7Gで連結される  隣の客車が、こちらに来て連結され、そのまま一旦出てからホームに引き返す

【いよいよ出入国】
二連駅の国際列車案内 列車が二連のホームに着くと、台湾人が私の姿を見てほっとする。どうやら台湾人は自分が何処に行ってしまったのかだいぶ心配したようだ。迷惑をかけてすまないと思っている。
いよいよ出国審査が始まる。この時、23:15。緑の制服を纏った武装警察と係官がやってきて、車輌の各個室内で出国審査を行う。他の方の旅行記を見ると中国の係官の態度は悪いと書いてあったが、私が出会った係官は厳しそうだが、態度はしっかりしていた。無事にパスポートに中国出国のスタンプが押される。税関の紙は持っていかれなかった。
次に武装警察がやってきて、亡命者がいないかチェックする。このときは屋根裏やトイレの中、ベットの下までくまなく探す。無事に審査がおわったら、直ぐ出発になる。この時23:30。

二連では既にモンゴル側のディーゼル機関車が連結されていた。
まずは中国の国境を目指してゆっくり走る。徐々に光が届かなくなり、あとは闇一色の世界となった。かすかにディーゼルエンジンの音だけは聞こえ、遠くに去りつつある二連の貨物操車場で、機関車の汽笛が寒い空に響き渡る。
暗闇から一転、ライトが照らし出されている門を通過した。恐らく中国側の国境の門だろう。この時の時刻は丁度24時。しかしまだ眠ることはできない。
その後今度はモンゴル側の国境の門を通過した。外にはモンゴル軍兵士と思われる軍服を着た若い兵員が列車をずっと監視している。さすがにこのときばかりは写真は撮れない。

24:15にモンゴル側の国境、ザメールドゥに到着。しかしホームには降りられない。
24:20にモンゴル側の入国係官が来て、パスポートとモンゴルの入国カードを預ける。ここでもモンゴル軍兵士による密入国者のチェックが行われ、中国側同様、細かいところまでチェックが入る。
24:45にモンゴル側の食堂車と寝台車(MECT18)が連結される。
25:00、服務員が疲れているだろうから寝ててもいいよ親切に言ってくれるが、まだパスポートが返って来ていないので安心することはできない。
25:10、ようやくパスポートが自分の手元に戻ってくる。モンゴルのスタンプは草原を現す緑色だった。
25:20、ザメールドゥを出発。車内から駅を見るが、看板等は全てキリル語で書かれており、全く読めない。
トイレに行った後は、すぐさまベットにもぐりこみ直ぐ眠った。長い1日がやっと終わった。

モンゴル草原の朝 朝7:45に目が覚める。
陽は既に高く上り、澄み渡った青空と茶色に染まった草の絨毯が目の前に広がる。
これがモンゴルの草原か!
本当にあたり一面、草原となだらかな丘陵と、遠くに馬や牛の群れがかすかに見える。
ちょっと感動を覚えた。

朝の食事は昨日持ち込んだカップ焼きそば。ラーメンだといちいち味の付いた汁を吸うことになるから後で喉が渇く。カップ焼きそばなら早めにお湯を捨てられるから後までのどの渇きが来ない。こっちのほうが食べやすいと最近感じている。

8:40、ジャイールに到着。初めて見るモンゴル国内の途中駅だ。
駅のつくりは中華とはかけ離れており、どちらかといえばロシアっぽい。
ホームでは地元の子供たちがお土産を一生懸命売っている。私も何か買おうと思ったのだが、ここはもうモンゴル。モンゴル貨幣であるトゥグルク(tg)を持っていなかっため、何も買えなかった。
昨日連結したモンゴル車輌が隣にあるので見ると、前述したとおり、食堂車とMCET18だった。MECTは座席を表し、18は乗車人数を表すので、モンゴル車輌の高級軟臥といえよう。

モンゴルに入って第一の駅の到着
ジャミール駅に到着  ジャミール駅に到着
モンゴル側車輌MECT18  モンゴル側の食堂車

列車は再び発車し、モンゴル国内を加速している。次の停車駅はいよいよ終点であるウランバートルだ。
沿線にはモンゴル遊牧民が宿泊する移動式テント、ゲルが多く点在する。この地で冬を越すのか、はてまた移動するのかどうなんだろう?

モンゴル側車輌の内部 昨日疲れていたので、また部屋に戻り寝てしまった。起きたらすでに11時を回っていた。
食事はどうするのか台湾人に聞かれたが、カップラーメンでいいと言ってしまった。
食堂車はあるが、何せモンゴル側車輌だ。実際行ってみて分かったんだけど、メニューの文字は全てキリル文字で漢字はない。またモンゴル貨幣であるトゥグルク(tg)を持っていないので、支払いが人民元で可能なのかアメリカドルなのか、喋れないから分からなかった。よくよく考えれば隣のモンゴル人女性に食堂車のことをお願いして置けばよかった痛感した。
モンゴル側の食堂車の造りは、中国よりもちょっと綺麗にできており、バーのようなカウンターまであった。メニューを注文しているのは旅なれた欧米客とモンゴル人だけだった。

線路はしばらくカーブの連続が続いていた。モンゴル鉄道はどちらかというと山を削ってその間に線路を通すということをしなく、丘陵に沿って線路を敷く方法を採っているようだ。そのためしょっちゅう右や左に車輌が傾いている。窓から撮影するにはいい具合なのだが。

ウランバートル到着約1時間前、列車はこの列車最大のメインといえる連続ヘアピンカーブを曲がることになる。なにせ180度カーブが3箇所もあるので見ごたえがあると言ってもいい。翌日この地に撮影を行いに行ったが、列車が来て見えなくなるまでに15分はかかっている。線路の一番高いところから見下ろせば大俯瞰に様変わりする。
場所はアムガランというところで、ウランバートルから車で南に約1時間。途中から道なき道を走るので、乗り心地は途端に悪くなる。それでも一番高い線路から見下ろす光景は絶景だ。
モンゴルに行くなら、是非この地を訪れて、壮大なモンゴル鉄道を眺めていても決して悪くないと思う。

右側の線路はこれから通過する所
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翌日の撮影

翌日自動車でここまで行き、撮影
アムガラン付近のヘアピンカーブ衛星写真:寝台軟さんからの頂き物

アムガランを通過した後、年季の入った服務員が後45分でウランバートルに到着するからと告げに回ってきた。その際昨日使ったベットのシーツはきちんと畳んで服務員に返す。

だんだん山が遠くなり人の住む住宅地が増えてきてかなり開けてきた場所に入った。いよいよウランバートルに入ったのか。
車窓から見た限り、ウランバートルの街は発展していないというのが本音だ。
ただ無駄な建物が少なく、自然が良く見えていい。標高1300メートルを越えているのでジェット雲や青空がきちっとみえる。
列車はスピードを落としてく。駅に着く途中、機関区のそばを通過するのだが、外には以前モンゴルで使われていた旧ソ連系の蒸気機関車やディーゼル機関車が置かれていた。これは誰でも見に行くことは可能だ。

ウランバートル近くを流れる河  線路そばにある鉄道博物館

13:20、定刻どおり、列車はウランバートル駅に到着した。駅自体もそれほど大きい駅ではなく、ホームが2本、列車が止まる線路は3本しかないこじんまりしている駅だ。ホームには入場制限はなく、誰でも入ってこれる。駅舎はやはりロシア風だった。

ウランバートル駅舎

お世話になった2人の服務員や同じ車輌で一緒だった台湾人ビジネスマンやモンゴル人女性に別れを告げてホームに降りた。こちらのホームは嵩上げされており、ホームの端か地下道を使って外に出る。ホームへは誰でも自由に入れるようで、大勢の出迎えがホームで乗客を待っていた。
ホームにはこの日を含めて3日お世話になる、“あずさや”のご主人が迎えに来てくれた。列車の写真を撮りたいのですがと言うと“厳しくないから好きなだけ撮っても大丈夫だよ”といわれ、10分ほど撮った後、あずさやのご主人と一緒にタクシーを拾って宿泊先のあずさやまで行った。
途中市バスを見たが、日産ディーゼル製で、日本の国旗が描かれていた。
あと基本的にモンゴルは国を含めて親日だが、タクシーは石油の原価上昇の関連で値段を吹っかけてくることがほとんどなのでここは注意したほうがいいかもしれない。

感想としては、国境を越える時間が深夜と眠るのが遅くなるが、北京からウランバートルまでは遠すぎず近すぎずといった感じで、乗車時間も30時間と何とか寝台で過ごせるレベルである。客車は使い古されたけど頑丈なドイツ製である。装置も中国製とは全く違うので、古くても乗車してみると却って新鮮に映るであろう。
また途中通過ポイントも青龍橋スイッチバックや八達嶺、二連での台車交換、モンゴルに入ってからの壮大な景色、終点手前でのヘアピンカーブの連続と乗り物好きには飽きさせない要素が詰まっている。今年いっぱいはビザが不要で、来年からは必要になるかもしれないが、手続きは難しくないと聞いている。
今年の7月から、北京からチベット・ラサまで列車が開通したが、外国人にとっては値段のかかるパーミッションを取得しなければならず、これだけでも大変なのに、さらに48時間乗車が待っている。よほど鉄道好きか乗車好きではないと、チベットに行くのは時間的にも経済的にも厳しいというのが実感であろう。
だったら、余り注目されていない中国−モンゴルの列車に乗車してみるというのもひとつの手だろう。モンゴルビザの取得と切符を購入するのにパスポートのコピーが絶対必要だが、それさえクリアできればあとは乗ってのお楽しみということになる。

だから私としては、北京−ウランバートルの国際列車は絶対お勧めできる列車のひとつである。もし機会があるなら来年の夏辺りでもご乗車されてはいかがだろうか。そして中国とモンゴルの違いを肌で感じ取ってもらいたい。

ウランバートル駅に到着したK23次


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