[ 中国鉄道倶楽部 ][ 中国鉄路旅行記 ][ みんなの旅行記 ]

T9次、北京西−重慶24時間乗車記

06年8月7日〜8月8日乗車 著者:ボーゲン管理人

*文章および画像は著作者にあります。したがて無断使用は厳禁!!

北京西駅で発車を待つ、T9次重慶行き特快

 中国の鉄道番号は、今だからこそ頭に色々な英文字が付いたり、4桁の番号があったりしていますが、昔は2桁までが特快、3桁は普快・普慢という見方でした。
 そして、列車は誕生した順に番号が振り分けてあります。例えば、今でこそZ列車に押されていますが、T1/2次:北京西−長沙:特快は社会主義になってから誕生した1番列車に当たります。
 そして、頭にZもTもKも除いた北京発の列車番号は以下の通り。この順に列車が誕生したと思ってもらえればいいです。

Z14次直達特快:元々は14番目の列車 1/2:北京西−長沙
3/4:北京−ウランバートル−モスクワ
5/6:北京西−南寧−ハノイ
7/8:北京西−成都
9/10:北京西−重慶
11/12:北京−瀋陽北
13/14:北京−上海
15/16:北京西−広州
17/18:北京−ハルビン
19/20:北京−満洲里−モスクワ
21/22:北京−上海
23/24:北京−二連−ウランバートル
25/26:北京−青島
27/28:北京−丹東−平壌
29/30:北京西−広州
31/32:北京−杭州

 そして、今回乗車したのは、重慶行きのT9次です。
 重慶と聞くと、思い浮かぶイメージは、夏の暑さはトップレベル、長江三峡下りのトランジット、激辛火鍋、民度が低いくらいで、観光の大足は重慶じゃないでしょ!と決め付けてしまいがちになります。
 じゃあ何で、こんな所に行きたがるのかと言うと、1つ目は乗り潰し地域で、2つ目は切符が買えない(特に寝台)地域のひとつでチャレンジしてみようと考えたからです。

T10/9次のサボ  T9/10次特快切符が買えない理由は、まず運行ルートが他の路線と違うと言う事です。
 列車は北京西→鄭州までは他の特快と同じですが、鄭州から洛陽方面に進行を変更します。が、洛陽手前で南下し、南陽を通過、襄樊で向きを変え西の安康へ北上し、安康から達州・広安を一気に南下し重慶に到着すると言うルートです。
 それは、他の列車では鄭州から先は他の列車では使わないルートを行くので、まず乗車してくる乗客の割合が多いことです。
 途中乗車してくる乗客に対して、T9/10次特快は硬座車輌の編成を多くさせることで対応をしています。なぜなら、まず重慶に行く途中で幾つかの駅に停車しますが、そこから乗り込んでくる人々の数が余りにも多いために、無座扱い(すし詰め)でも出来る硬座車輌を多くしておいた方が列車側にとっては都合がいいと思えるからです。
ですので、36人乗車の軟臥は毎日走っていても、乗車する希望者が多いために、駅に行くといつも【没有】です。

 ひょっとすると駅の切符窓口だと発車24時間前からじゃないと発売しないとかの発売規制を設けている可能性はあります。旅行会社の方も仰っていましたが、やはりどの旅行社でも発車4日前の深夜12時からネット端末を使い、成都行きや重慶行きの特快軟臥切符の予約を押さえてしまうそうで、これじゃ個人で並んで買おうとしても限度と言うものが見えてきます。
 四川地域や新疆方面に行く方は、手数料を惜しまず、大きな旅行会社を通して切符購入をした方が良いかもしれません。

 今回頼んだのは、某旅行会社。発車1週間前に上海から電話で頼んだら、30分後に「予約取れましたよ」との返事が!!!「仕事速すぎ!」と喜びたいのですが、発券は4日前ではなく、発車当日になるという返答で、旅行会社を通しても厳しいという実態が伝わってきます。恐らく鉄道部切符販売部に裏から手を回して予約にこぎつけたものと思われます。

政府幹部用の車輌をつけたT9次:重連

 北京に居た時は、北京に住む日本人中国鉄の方々と沿線を撮影していましたが、たまたま北京西発の列車を撮影していたら、重連のSS8電気機関車がT9次の車輌を牽引していましたが、何と最後尾には政府幹部用車輌が!これを見ただけでも、乗車したいという逸る心が全身を奮い立たせます。

8月7日の北京西駅:T9次  さて出発日&切符受け取りの当日、某旅行会社の方と中々連絡が取れずかなり焦りましたが、ようやく担当の方とお会いすることが出来、無事にT9次:重慶行き軟臥下段の切符を貰うことが出来ました。料金を払おうとしたら「手数料はXX元です」と658元の切符代+&だけ。いいんですか!?この列車、軟臥を買うだけでも**0元の手数料を払う価値はありますよ!と言ったが、担当の方は受け取りませんでした。

 ホテルに戻り、荷物を抱えてバスで北京西駅に。空調バスで快適でした。北京はここ1〜2年でバスの入れ替えが進んでおり、空調車もかなり増えて、厳しい夏でも快適に過ごせるようになりました。

T5次:南寧行き  北京西駅の軟席候車室に行きますが、列車本数が多いため軟臥乗客も多く、座席は少なく確保が大変でした。
 発車35分前に改札が表示され、皆さん一同ホームへ。夕方になると、北京西駅発の列車は長距離特快・快速が多く走る時間帯となり、ホームには25Kや25Gの車輌が何本も停車していました。T9次は16:25発車ですが、15〜16時台だと貴陽行き、南寧行き、成都行き、西安行きがあり、17時〜18時台には長沙行き、西安行き、広州行き、昆明行きと数が多いです。

 牽引する電気機関車はSS8で、鄭州に停車する特快は殆どがこの機関車牽引です。鄭州を通過する特快やZ直達はSS7EやSS9Gの牽引になります。

 編成は、郵便車・電源車・硬座×7・食堂車・軟臥・硬臥×6・荷物車の18輌編成。車輌は25Kで、青い横ラインが多少濃い目です。列車の所属は成都鉄路局重慶客運段。

 軟臥の外見は割りと綺麗でしたが、良くも悪くも田舎の列車。内装は薄い青と濃い青で統一させようとしたのでしょうが、かなり色あせており、“使いまわし”という感じです。香港行きの列車のように内装をテコ入れする考えは浮かばなかったのか?と理解に苦しみましたが、所詮は考えの貧しい地方鉄路局管轄だから「乗れるだけありがたいと思え」というメッセージとして見受けられます。

軟臥1  軟臥2

 いい例が、軟臥個室内にあるソケット用の電源で、昆明鉄路局管轄の列車と重慶客運段管轄の列車は電源を【わざと】乗客に供給できなくさせているようで、理由が、“客車の電源がなくなるから”や“乗客は車輌の電源を使用してはいけない”など冗談は顔だけにしてくださいという非文明思考の発言をしてくる鉄道職員共を見ました。どちらかと言えば教育内容が低すぎるからYesかNoでしか受け答え出来ないDQN=低レベルな職員が多いのでしょう。
 しかし、我々はお金を払って乗車しているのに、乗車している車輌のサービスを受けさせたくないなんて余りにも理不尽な考えと思いますが、これが先進国文明国家と後進野蛮集団で育った人間の考え方の違いなのでしょう。かつての文明大国が一部の洗練された方々を除き、時間とともに野蛮集団=夜郎自大に成り下がっていく退化の過程は本当に面白いですね(笑)。

使えない軟臥電源ソケット  軟臥の乗客は、あっという間に埋まりました。他の方々はどんな手を使って軟臥を購入したのかなぜか気になります(笑)。
 私の同部屋の方は家族で、生後半年経ったかくらいの赤ちゃんも一緒でした。中国人にとって赤ちゃんは宝。よくTVCMで赤ちゃんを宝宝(バオバオ)と呼ぶ台詞を聞きますが、日本人以上に大切にする習慣があり、何処かに赤ちゃん(子供)を連れて行けば、ある程度は優遇されるといった歓迎を受けるので、今回一緒になった家族の方々も列車乗務員や隣の軟臥の方々に大切にされているように見えました。

 まだ夕陽の西日が照りつける中、ホームで蛍の光の曲を流しながら、列車は北京西駅をゆっくりと走り出しました。
 中国列車の発車時は、非常にスムーズで、振動はほぼありません。機関士はかなりの訓練を受けているのでしょうが、このスムーズな発車技術は大したものです。揺れを感じない始発は中国鉄道にとって自慢できる運転技術ではないでしょうか。

 列車は西郊外の永定河を渡り、豊台から来ている京広線本線と合流すると、列車は時速130キロを越える運転に入ります。レール幅が広いので(日本の新幹線と同じ)、在来線でも160キロは出せる技術と運行系統は他の国では真似できません。日本では線路幅が狭いからせいぜい頑張って時速100キロでしょう。それ以上出せば、車輌が軽いから宙を舞います。

車内弁当:15元  走り始めてほぼ一時間が経つと、食堂車からお弁当をワゴンに載せて発売しに来ます。中身は卵焼きとハムと野菜の炒め物の詰め合わせと別にご飯が付いて、15元です。
 私は予め東直門の7・11(セブンイレブン)まで行き、おにぎりを中心とした食料品を買い込んでおいたげnので、食堂車を使う必要は全くありませんでした。

 ところで7・11は北京と広州・香港で見かけますが、北京と広東では営業形態は全く異なり、扱う商品も全く違います。
 広東の7・11はアメリカ系で、パッケージ化された食品が多く、すぐ食べられるという食材はせいぜいサンドイッチくらいで、おにぎりや弁当は扱っておらず、日本人の感覚からすると、ちょっとずれた感じです。
 逆に北京の7・11はイトーヨーカドー系で、こちらは完全に日本人及び中国人向けです。日本食文化を中国人に植え付けるため?店内に並んでいるおにぎりの種類は豊富だし、味も日本人なら何とか付いていける中国風味。弁当のおかずは店内で加工するため、いつも出来立ての商品が並んでおり、お客様は好きなおかずを選択することが出来ます。最近、前門店が潰れてしまったため、東直門店まで買いに行ってきました。

石家庄の攻防  さて、列車は3時間ほど走ると、第1の停車駅、石家庄に到着します。19時を過ぎていますが、夏ですので日はまだ出ており、ホームでの撮影は十分可能です。
 息抜きにホームに降りて、食堂車の方を眺めると、喧騒な黒山の人だかり・・・。一刻も早く列車に乗り込もうとする途中乗車の乗客の先争いで、更に駅職員の怒声と整列を命じる笛の音とが入り混じり、別世界になっていました。北京西駅で既に7輌の硬座は無座客がそこそこいたので、それが更に増えるということは、下手をすると満員電車並みの混雑ということになります。2掛けに3人座り、3人掛けに4人座る。デッキも通路もトイレも人だらけ。空調車なのに人が多く、ちっとも涼しくない・・・。
 考えただけでゾッとします。特快なので運行時間が短く、途中停車駅も少ないので、大部分の乗客は荊州や漢中方面に向かう乗客でしょうが、それでもかなり乗車してくるはずです。ある意味、満席硬座はカオスという表現ぴったりで、空気が違います。軟臥に慣れてしまっている私には1時間も耐えることが出来ません。
 既に無座の乗客が座席難民として食堂車まで押し寄せてきていますが、食事時でしたので哀れ彼らは硬座まで押し戻されたのでした。

 ところで、この列車の食堂車はよほど換気が悪いのか、覗くと働く時間より休憩時間のほうが多い、食堂従業員と乗車警察の吸うタバコの煙が充満しており、空気の色が違います。また料理を作っている時の油臭が軟臥まで漂ってきます。
 多分食堂車に行ったら、慣れない外国人は酸欠を起こすかもしれないほどひどいものでした。

 また、この列車の軟臥には各部屋に1台のTVが天井に搭載されていて、衛星を使ったTV放映を行いますが、お粗末な内容の番組ばかりで、唯一面白かったのが外国制作のドッキリ番組(航空もそうだが、最近は映画よりこちらを放送する場合がかなり多い)ぐらいで、あとは捏造抗*戦争物でしょう。幸い私の部屋は赤ちゃんがいますので、音量は出来るだけ小さくしておけるから助かります。

洛陽〜関林〜南陽に行く快速  北京を出て7時間後(23時)に河南の鄭州に到着しますが、列車はそこで向きを変え洛陽方向に向かいます。そして洛陽手前で焦柳線に入り襄樊まで南下します。
 このとき私は既に寝ておりましたが、よくよく考えれば、この路線で後漢末期の関羽シンドロームを思い出しました。

 江陵に本拠を置いていた蜀将の関羽は、劉備の漢中王宣言に呼応するかのように、魏の最前線たる樊城を攻め、一時は魏の援軍を打ち破り、あまりの武威に曹操ですら遷都を考えたほどでした。その後、関羽は魏将の徐晃の攻撃を受け、呉の呂蒙に江陵を落とされ、呉軍に取り囲まれ、非業の死を遂げました。
 焦柳線に入って直ぐに、関林という駅がありますが、これは孫権から送られた関羽の首級を曹操が祀った場所です。また列車は襄樊まで南下しますが、樊城救援に赴く徐晃の進軍コースだったなあとつまらない妄想が働きました(笑)。志は千里にあり、壮心止まず。

 朝5時頃、襄樊に到着し、列車は再び向きを変えて発車しますが、私はずっと寝ており、気付きませんでした。列車は漢水を遡る形に沿って漢中方向に向かいます。途中、道教で有名な武当山を通過します。十堰でようやく目が覚めました。

 襄樊から終点重慶までは襄渝線を通りますが、この区間はずっと単線ですが、電化はされており、また宝成線(宝鶏−成都)のように険しい秦嶺山脈を通過するわけでもないので、平均時速こそ100キロを割りますが、それでも80キロペースで走っていたと思います。

 険しい山岳地帯を通過しないため、比較的のどかな農村や集落を見ることが出来ました。天候は晴れで、夏の強い日差しが生えている草や木の葉の緑色を更に強調しています。
 時折、引込み線の奥にある煉瓦造りの建物に、黒い石炭がぎっしり詰まっている風景を見ますが、炭鉱でもあるのでしょうか。
 ただこの沿線は旅客駅がほとんどですが、貨物扱いを行っている駅もかなりありそうです。

十堰の景色四川省に突入

 朝食はカップ麺焼きそばで、最近は焼きそば系ばかりです。なぜならカップラーメンだとスープを飲むから、それだと喉が渇くので、出来るだけ水を飲まず、持ち込んだ物資の範囲内で長距離列車の中でどのように過ごせるかと考え、カップ麺焼きそばの方が妥当だと思ったからです。
 車内販売の弁当は、お粥とザーサイとゆで卵とマントウの詰め合わせで(お粥は別)、10元ですが私は中国のお粥は好きではないので、頼みませんでした。

 列車は9時過ぎに安康に到着。この駅は、西安から直接伸びている西康線、漢中(陽平関)まで行く陽安線とが合流していますが、数年前に西安まで出る西康線が出来てから、随分便利になったと思います。それ以前、この地域から西安への道は、ほとんどが漢中〜秦嶺経由でしたので相当時間はかかりましたが、現在は4時間もあれば到着できます。

萬源駅到着  昨日の夜からずっと続いていた無座の乗客は、一時軟臥までなだれ込んできましたが、襄樊、十堰、安康で乗客が大分降りたらみたいで、私の同室の家族も万源で降りました。と外を見たら、万源駅ホームで硬座車輌方向に再び黒い人だかりが出来ていました。また座席難民の襲来です。

 無座切符しか持っていない乗客は硬座と食堂車以外には入れませんが、停車中ドサクサに紛れ込んで軟臥に逃げ込もうとします。そのため、停車時になると軟臥と食堂車の間では鍵を掛けてしまいますが、今回は閉め忘れたみたいで、数人の無座客が勝手に何食わぬ顔で軟臥通路の椅子に陣取っていました。
 もちろん、それを見過ごす車輌服務員ではありません。長距離列車だとどうやら1車輌に2人服務員が交替で担当しているので、これをスルーしていたらただの無能でしょう。
 早速、無座客と服務員との激しいやり取りが始まります。

服務員:あなた!軟臥切符持っているの?持って居なければさっさとここから立ち去りなさいッ!
無座客:臥鋪切符なんて持ってないよ、それに食堂車や硬座じゃ人が溢れているんだよ!
服務員:さっきあなた用事の電話が掛かってくるからと1分だけ時間を与えたよね?もう2分経っているよ!
無座客:まだ電話が掛かってこないんだよ!
服務員:早くどかないと鉄道警察を呼ぶわよ!
無座客、すごすごと軟臥のデッキまで引き下がる。

 混む時期の服務員と無座客との上記のようなやり取りは日常茶飯事化しています。

上記のやり取りを毎回見る限り、
(1) 寝台(軟臥・硬臥)は神聖にして侵すべからず
(2) 現金10000元持っていても、寝台が空いていなければ移れない
(3) どんなに死にそうな顔をしていても寝台切符が無ければ寝台に移れない
(4) お子様を弾除けオプションにしようとしても効果なし
(5) (硬座・無座)乗客は、切符により指定された車輌以外は移動してはいけない

と最初から寝台切符を持っていなければ、苦労はしませんが、途中乗車の場合はいちいち列車長のところまで行き、補票交渉して寝台が空いていれば、やっと寝台車輌に移ることが出来るというシステムなので、大変です。
 万源で幸運にも途中乗車から補票で軟臥に移って来た乗客が少なくなかったので、軟臥はまたあっという間に埋まりました。

 昼下がりの午後、列車は時速60〜80キロのペースを保ったまま、山の中を走行していますが、比較的のんびりとした光景が続きます。しかし夏なので日差しが強く、まして四川に入ったのですから、外からの熱が窓を通して伝わってくるので、エアコンを効かせていてもカーテンを閉めなければ意味がありません。

T9/10次の換票証そういえばふと乗車中、切符と交換した換票証を見てみました。青銅の上に金メッキを塗った比較的小さい換票証で大分色褪せており、かなり使い古されている感じです。寝台番号の17号のみ書かれており、恐らく走り始めた時代から使われているのでしょう。こういった歴史のある換票証は今のカードの換票証と比べても味があって良さそうです。
ちなみに列車内で換票証を無くすと20元〜30元の弁償を払わなければいけません。ホームや外で無くすと、再び列車に乗車できなくなる恐れがあります。荷物のみ終点まで行ってしまうこともあるらしいので、換票証は絶対無くさないようにしてください。

トンネルの長さもスピードがゆっくりのせいもありましたが、かなり長く感じました。山岳地帯を切り開いた感じです。
 重慶駅近くになっても、地形が複雑なので、最後まで複線を見ることは出来ませんでした。そのため、重慶駅の近くになると列車の交換待ちがたびたび発生します。

 列車はまだ太陽が沈みそうもない17時過ぎに重慶に到着しました。約25時間乗車です。
 さすがに重慶は中国三大竃のひとつに数えられていることとあって、かなり蒸し暑いです。立っているだけで汗が自然に出てきます。上海の比では有りません。
 出口は何と先頭車両方向にあるので、重い荷物を持って外に出ました。

荷物を持って外に向かう乗客:重慶駅   重慶駅到着後のT9次

 ホテルまでタクシーを捕まえようとしますが、結局人が多く、捕まらず、約1キロ先のホテルまで、汗をかきかき歩きました。おそらく2〜3キロは減量できたのではないでしょうか?

 T9/10次は北京から重慶に行く手段として、飛行機の次に速い乗り物ですが、単線区間が多いため、何気に時間がかかります。一応襄樊〜重慶まで複線工事を途中所々見ましたが、今年の10月のダイヤ改正までには間に合わないでしょう。

 こういう重慶や成都、昆明、福建省、新疆など、僻地のところに行くなら、飛行機で行く方が断然お勧めです。私も従業員の質が向上し、車輌ももう少し手を加わっていなければ、次から重慶行きは飛行機に変えると思います。



↑ページの一番上へ     次へ(K23次乗車記)
  

[ 中国鉄道倶楽部 ][ 中国鉄路旅行記 ][ みんなの旅行記 ]

Copyright (C) 2004-2006 borgen. All Rights Reserved.