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鉄の屑作戦 撫順炭鉱編 6.19(日)

向かうところ鉄だらけ

 

 今日は撫順に行く日。ところが以前の時刻表と比べて瀋陽から撫順への列車の本数は激減しており、朝瀋陽北駅から撫順駅への列車は北京から瀋陽北経由撫順行きのK95次の途中乗車しか方法が無かった。ところが当日の朝切符売り場に行くと、硬座(しか乗れなので)の切符は『没有』なので今回初の『無座』しか選択が無かった。ちなみにK95次料金だと新空調硬座料金扱いで、瀋陽北ー撫順間は44キロなので15元。無座は12元だった。こちらでは約半数の乗客が瀋陽北で降りると読んでいたが切符の割り振りは無かったようだ。あと21日北京行きK54次高包は難なく買えた。

K95次のサボ撫順の渾河

 無座切符を手に瀋陽北駅に乗り込む。駅舎を入ってすぐ表われたのは3階までの長がーいエレベーター。入り口から入った左隣には日本で言う「インフォメーションセンター」があり、『親切、丁寧』と100%実施されていないサービスセンターのモットーが書かれていた。
 待合室には大勢の乗客が並んでいた。コイツ等全員撫順に行くのかよ。と思ったが、実際は違うようだ。瀋陽北駅からの乗客は20人程だった。K95次は28分に到着して42分に発車するのだが、遅れているのか25分過ぎても案内はない。30分過ぎにようやく来た。硬座座席は18両編成のうち4両編成だったが案の定乗客の大半は降りてしまい難なく席に座れた。無座で硬座に座るときは必ず『補票』をして正式に手続きしなければいけないが、手数料が5元かかる。それに瀋陽北から撫順までの差額は3元なので、合計8元を払うのは馬鹿馬鹿しいから補票はやらなかった。幸い切符拝見がなかったので何事もなく終わった。もし切符拝見で立つことになっても乗車時間は40分程度なので苦痛すらならなかった。

 瀋陽から撫順への鉄道ルートは2つあり、ひとつは瀋陽北から瀋吉線で行く方法(北線)、もうひとつは瀋陽から撫順線で行く方法(南線)。今回は前者を利用した。瀋陽北駅を発車した後は随分のんびり走っている。途中時刻表に載っていない植物園駅に停車し、乗っている車両の4分の1の乗客はここで降りた。植物園駅を発車した後はもうすぐ終点。途中大きく右にカーブし渾河を渡った後はそのまま右曲がりのまま撫順駅に入線した(8:30) 。
 このK95次は撫順到着後、N125次となり再び瀋陽北に戻る。そして夜になると瀋陽北から撫順に戻りK96次として北京に向かう。間合い運転と言うやつだ。
 駅を出てみると瀋陽からのバスが頻繁に出ていていたので帰りはバスで帰ることにした。撫順駅から北に行くには北線と合流して撫順城を経由する事になる。
 撫順には2つの駅があり、地元では撫順城駅を『北駅』、撫順駅を『南駅』と呼んでいる。撫順は漢の時代からその名前が見れるが、明の時代女真族の侵入を防ぐために撫順城が築かれた。現在の撫順城の駅名はここから由来されている。また撫順は石炭の街として有名で、世界最大の露天鉱がある。この地を支配した歴代の権力者にとって(帝政ロシア、満鉄)はこれは貴重な財源となった。
 さらに撫順には炭鉱専用線が走っており、その中には戦前に作られた電車も走っていると言う。なので今回の目的は撫順炭鉱と戦前の電車の撮影だった。
 ただお断りしておくが、自分は戦前の電車と別の電車と勘違いしていたため、実際のこの目で確かめる事はできなかったのでその辺はご容赦いただきたい。

中国製の炭鉱線中国製の炭鉱線

 撫順駅前の道をしばらく西方面に進み、途中左折して南下すると大体10分ぐらいで撫順炭鉱線にぶつかる。線路への侵入は容易で、人目も全く気にならない。さらに線路を横切りそのまま畦道をまっすぐ行くと、世界最大の西露天鉱を一部分見ることができる。ここは露天掘りで炭鉱線(貨物線)のレールは段々畑のように螺旋状に敷かれており、遠くのほうで機関車の汽笛が聞こえたり、足元で貨物列車が通過することもあった。また露天鉱の底には蒸気機関車が走っている景色も豆粒の大きさながら吐いている煙で確認できた。

撫順炭鉱炭鉱線砿務局駅

 炭鉱線の線路に戻る。すぐ水色の3両編成の電車が通過する。電車と言ってもレール幅は中国国鉄と同じ大きさなので=新幹線と同じ、車両もそれなりに大きく見える。なんか日本の昔の私鉄に見えなくもない。ちなみに目的の電車は『ジテ』 と言い、1935年日本製。戦前は大連付近を走るディーゼルカーだったが、 改良を施され電化になった。ジテ現在は3編成が残るがそのうちの1編成は中国コピーなので 実質は2編成ということだ。それにしても御年70歳を過ぎても現役なのだから、この車両がいかに耐久に造られていたのかが分かる。ただし今回来る電車はみーんな水色の私鉄風。朝の運行時間はジテは結局来なかった。炭鉱線は朝と午後のみ運行が行なわれており、朝は6時から9時半まで、午後は15時半から夜の19時半まで運行されている。自分が撮影した場所の近くに炭鉱線の『砿務局駅』がある。

炭鉱線の時刻表、砿務局駅炭鉱線の時刻表、砿務局駅

 炭鉱列車が動いていないうちに本物の炭鉱を見ておこうと思い、まずは東炭鉱までバスで行った。 『行った』と簡単に言っているが、 実際はバス停を探すのに苦労した。また降りる場所を間違え、しかも途中で水を切らしてしまい少し危なかった。撫順は東北と言っても大陸性気候なのでこの日は30度を越えた。東炭鉱にも貨物線は延びているが、採掘場所から運送するのはトラック。また休日なので運転はされていなかったがナローの電気機関車貨物もあった。1元札と1元硬貨を切らしていたためバス停を降りたところから大通り(南昌路)に戻るにに30分以上かかったが実際は2時間歩いたような気分だった。

東炭鉱東炭鉱

ナロー貨物ナロー貨物

炭鉱貨物線駅

 南昌路を横断して柵を越えると目の前に雄大な西露天鉱が姿を現す。貨物線の線路が何段も螺旋状に敷かれている。遠くの方は空気が悪いためか見えなかった。至る所で貨物列車が頻繁に走っている。遠近感で従来の大きさ、マッチ箱の大きさ、蟻の様な大きさなど眺めているだけでも飽きない場所だった。また南昌路の隣にも貨物列車は走っている。

撫順炭鉱西露天鉱

炭鉱貨物線炭鉱貨物線

 撫順炭鉱は中に入って観光をするのには許可が必要だし、最近地すべりが起こったとも聞いていたので直接見学が出来ないと諦めかけていたが、バス停の近くにこんないい場所があるなら問題はない。20分くらいそこで休憩をしたあとは体勢を立て直すべく、バスに乗って一旦撫順駅の繁華街に出ることにした(12時前)。

至る所に貨物は走っている至る所に貨物は走っている

 撫順駅前の繁華街に戻る。ここは日曜日のせいもあるが、とにかく人が大勢いて、にぎやか。レストランもハルピンより断然多く、しかも店員は割りと親切でしっかりしていた。自分が食べた場所は台湾小吃の店。10元くらいで炒飯を食べた。食後は比較的タクシーを拾いやすい場所に移動した。午後の予定は西露天鉱の西側に回り、途中から炭鉱線の電車に乗車しようと考える。

炭鉱貨物線炭鉱貨物線

 タクシーを拾い、古城子街の途中まで連れて行ってもらう。途中国鉄撫順線と炭鉱線が併走していた。撫順で獲れた石炭貨車は貨物操車場で国鉄の機関車に牽引されていく。撫順は本当に貨物の支線が多く、たまたま入った線路で雑草が生い茂っていても機関車牽引の貨物列車はやってくる。線路も錯綜しているので、行く所いく所貨物列車を見る。走行していくうちに西露天鉱の入り口を発見した。もちろん入れないので入り口の近くの貨物線で炭鉱列車を眺めていた。

怪しい電車?撫順西露天鉱入り口

炭鉱貨物線新生橋駅

 そこの近くにバス停があったので、 『新生橋』という駅まで行きまだ14時半だったので、電車が動き始める15時半まで駅舎で休んでいた。駅舎といっても島式ホームにある屋根のことで、切符はどこで買っていいか分からず、ホームへの出入りは自由だった。近くに水を販売している売店もあるので焦ることなく1時間じっくり待った。向かい側には撫順線の線路があり、貨物や旅客列車が15分に1本の間隔で通過していった。休んでいる間に絶えず吹いてくるそよ風がなんともいえない居心地の良さを与えてくれた。

新生橋駅ホーム電車の中

 15時半過ぎ、中国製の電車だが来た。電車が来る前に地元の人達もそこそこやってきて乗車した。電車の中は広いと言うかがらんどうで、『ハコ』に近い感覚があった。ベンチはロングシートの本木目(笑)で随分年代が経っていそうな造りだった。女性の車掌が切符拝見しにやってきたが、自分が切符を買っていないから幾らだと言うとゴニョゴニョ言い行ってしまった。もう既に切符を買ったのと思ってのだろうか?後で聞いたところによると、切符の価格は全区間『8角』だそうだ。
 電車のスピードは速くても40キロ以下ペースで普通の自動車なら簡単に追い抜いてしまいそうだ。約15分で降りる『砿務局駅』に到着。切符を回収する係員もいないから結局無賃乗車となった。

炭鉱貨物線実はジテよりも少ない『ムーミン』

 朝の撮影場所の位置に戻り、17時近くまで粘りに粘ったが、結局ジテは来ず。その代わりトリコロールカラーの『ムーミン』が来た。暗くなり、カメラの写りも悪くなってきたので、今日は運がなかったと思い、撫順駅前に戻る。撫順駅前からは瀋陽駅行きのバスが多く出ていた。瀋陽北行きのバスは本数が少なかったので、瀋陽行きに乗ることにした。バスは空調付きで7元と新空調無座より安すぎ。これじゃ鉄道は食われてしまうわけだ。撫順から瀋陽駅まで約1時間。瀋陽駅に到着後、東京駅を模したという赤レンガ駅舎を見た後、タクシーでホテルまで戻った。

ベンツ製寝台バス瀋陽駅


後日、撫順にお住まいのにしやん様から現在でも走っているジテの画像と動画を頂きました。


現在も現役のジテ、2005年7月

今回『ジテ』については以下のサイトを参考にさせていただきました。

ようこそ泡沫軌道部へ:第5部『海外編』ジテは来た1
ようこそ泡沫軌道部へ:第5部『海外編』ジテは来た2
向日葵写真館:鉄道写真館中国旅行撫順炭鉱の電車たち


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