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鉄の屑作戦 駆け抜ける嵐 6.21(火)

 

 この日でいよいよ北京に戻る列車(K54次)に乗らなくてはいけない。しかしホテルのチェックアウト時間から発車まで8時間以上もあるので、延長料金を払い出発まで部屋にいた。午前中はずっと撮り鉄だが、時間帯によっては列車が全く来ないときもあるので、炎天下の中勘弁してくれと思うときもある。

上海浦東開発銀行の建物亳州ー瀋陽の寝台バス

 午前ホテルを出て、撮影現場に向かう。途中自動車の追突事故があり、幸いけが人はいなかったようだが、追突したほうが相手側に殴りかかっていた。さすが民度の低い国民だ。

1394次普快列車T452次大連行き


DF4Bの先鋒号

旗幟号

 午前中は多くなく、午後もぽろぽろ。かといって収穫なしと言う事ではなく、それなりの列車は撮れた。午後も行ったが、あまりの暑さに耐え切れず、1時間あまりですぐ撤収となった。天気は晴れていたが夕方から雷雨になる。

快速列車試験車両

 今回瀋陽は初めてでしかも観光目的で来た訳ではないので泊まる所は駅前と決めていた。ホテル選びも1、安いところ、2、ネットが出来るところを重点的において探したところ、日本の「東横イン」ホテル系の「東陽閣IT飯店」というところが出てきた。
 日系だから従業員の教育も行き届いており、また痒い所に手が届くサービスも充実しており(軽朝食付き、マッサージ20分無料、洗髪1回無料、部屋でのネット無料)、イライラしないのがいい。しかも瀋陽北駅から南300メートルにあり、東200メートルには長距離バスターミナルがあり、さらに100メートル進むとカリフールがある。 これだけの立地環境が良くて、一番安い部屋で150元なんて泊まらない方がおかしいと言う事になる。ただひとつ注文したいのが、食事をもっと充実してくれだ。

ホテルの部屋瀋陽北駅南側

 このホテル、レストランと言うよりも食堂に近い食事をする場所がある。メニューは6種類で10元均一。駅前の高いくせに衛生面、飯の質、従業員と全て劣ってる通称『三悪怪餐』よりはずっといいが、ここで食べたいと言う気が起こらない。何か質素だからだ。せめてあと20元〜30元くらいは出すから、もうちょっと豪華なメニューがあってもいいんじゃないかなーと考えてしまう。レストランの従業員が少ないから仕方が無いか。まっ、日本人にとってここはホントに快適の良いホテルだが(自分は追加料金を払って夜8時過ぎまでここにいた)。
部屋は19階で、瀋陽北の南辺りは見渡せれるが、再開発をやっていて自弁が穴ぼこだらけだ。

ただいま外は豪雨。延長して正解でした。(18:32)

・・・1時間後・・・

日ごろの行いのせいか外は嵐!!!

君は生き延びる事ができるか(笑)

 なんてアホな事は置いておいて、8時半過ぎまで部屋で雨がやむのを待った。風はあるが雨のほうは弱くなったのでホテルを出てすぐ瀋陽北駅に駆け込む。そういえばまだ晩御飯を食べていないので駅テナントの『吉野家』に行く。日本と違ってちゃんと牛丼(普通10.9元)があるので心配はない。
 晩御飯を済ませて駅舎から軟席候車室に向かう。すぐK54次列車への案内が掲示された。ただいま瀋陽駅と瀋陽北駅のホームは工事中でホーム屋根を北京駅見たくするらしい。だから屋根がなく、弱くなったとはいえ降りつづける雨の中を走って目的の高包車両まで走った。

 今回乗車するK54次も瀋陽北ー北京を結ぶ花形列車で、人気は多いとかで常日頃夕方になるとダフ屋が北京行きの硬臥を販売しに切符売り場にウロウロしている。もっとも瀋陽北駅が切符をはっきり売る気がないのか切符発売制限をしているのは確かだが。
 この列車は寝台列車として先駆けて1991年に全車両寝台化を果たした列車である。瀋陽北から北京まで704キロ。時間は10時間。この乗車時間は10年前の時刻表とほとんど変わっていない。 ちなみに1996年の時刻表には直達扱い(53/4次で番号の前に英文字は無い)になっており、途中駅に停まるが乗客の乗り降りはできない。料金も直達料金扱いで、当時は硬臥下段201元(現在183元)、軟臥下段297元(現在286元)とちょっぴり高い。高級軟臥の連結は2003年2月から3月頃で、列車のプレミアム化が進んでいる。
 ところでこの列車は750キロの距離を10時間かけて走るので、途中停車しないが途中駅で幾つかの列車に抜かされる。しかし10時間かけてゆっくり走るのは悪くない。やはり寝て起きて終わりの列車じゃつまらないし、少なくともくつろげる時間を維持している事がこの列車の最大のサービスだと思っている。
 列車は17両編成で、電源車1両、高包1両、軟臥2両、硬臥13両となっている。牽引機関車はエースのSS9。食堂車は少なくとも10年前から連結されていない。高包の位地は13両目になっており、階段を下りた場所が4両目辺りなので歩く事になる。服務員は若い女性だったが、新米なのか日ごろから真面目に勤務しているのか、とてもしっかりしており、花形列車の名を汚さない勤務ぶりである。

K54次牽引機関車今まで乗車した高包の中で出来のいい液晶テレビ

 乗車した高包はいつもの液晶TVが付いているが、今回の高包は素晴らしく、様々な映画があらかじめ機械の中にセットされており、好きなときに見ることが出来る。自分は『スパイダーマン2』を見ました。同室の人は紳士的な方で、ものすごく気を使ってもらってなんだか悪い気がした。それでもひと言ふた言話していくうちに、打ち解けて旅行の話題の花が咲いた。久しぶりにいい思い出だ。

 夜12時過ぎに寝る。気付いたらもう朝6時半、今日は6月22日。服務員が切符を持ってきた。もう通州県辺りか、日が高い。北京東を通過し列車はスローになる。北京駅はZ列車が増えたおかげで車両の入れ替えが大変。もちろん見るほうはお楽しみがいっぱい。

K54次サボ青年文明号

 列車は定刻に(7:25)北京駅にすべり込んだ。昨日ホームが暗くて見えなかったがなんと『青年文明号』と名誉ある列車名を与えられている。自分はすぐホームには出ず、しばらく撮り鉄を行なう。T18次が少し遅れてやってきた。K54次の後方車両には回送用のDF11が既に連結されている。隣の1番ホームではK3次北京ーウランバートルーモスクワ行きの3カ国国際列車が発車し始めていた。この列車を見送ったあと、北京駅を出た。

遅れてきたT18次モンゴル経由、ロシアに向かう国際列車K3次

 大学に戻ってもすぐやることがある。14日火事で同じ階が燃えたため、すぐお引越しとなった。荷物は無事だが少なからず灰をかぶっている。帰ってきて部屋換えと荷物掃除は勘弁してくれだった。

 今回の旅行はこれでおしまい、あと一週間で帰国だがすぐに戻ってきます。長い稚文を読んでくれた皆様、有難うございました。

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