T536次乗車記
乗車した列車番号 |
乗車区間 |
切符の種類 |
切符の金額 |
乗車した日付 |
T536次 | 天津ー北京 | 新空調硬座特快 | 35元 | 1月5日 |
「隴を得て蜀を望む」。後漢時代の曹操が言ったといわれる故事成語があります。人の欲望は限りないと己を自嘲した意味です。今回の旅行は乗り鉄三昧ですが、最後上海ー北京戻りでは
「望蜀」故事に倣い天津までZ列車高包で行ってから、天津ー北京間の城際特快
で戻るという方法をとりました。1つは駅前の天津名物「狗不理」の肉まんを食べること、1つは京津特快の硬座はいかがなものか(京津特快硬座は今回が初)と普通の人は考え付かない方法で北京に戻りました(エラクありません)。
この京津特快は以前は旅游列車で(Yがつきます)、DF4東風ディーゼルカーが牽引する2階建て客車でしたが、1999年頃からJR新幹線MAXみたいなND2J機が2階建て車両の前後に連結してプッシュプルする車両に変わりました。この京津特快は2両が機関車、9両が硬座、1両が軟座です。
車両は180キロまで出せるように設計されており、実際北京ー天津間を約70分で走破します。
京津特快は時間帯により切符の値段が変わってきます。1番安い硬座は25元ですがお昼に近く発車する列車で、朝や夕方に発車する列車は10元ほど値上がります(軟座は硬座料金の+10元)。切符の購入は乗車直前でも容易で、北京駅/天津駅共に専用の切符売り場があります。京津特快は高速バスとの競合もあり、本数も多いですが、10月以降25元の列車は時刻表からなくなりました。
自分は天津駅に6:42に到着しましたが、肉まんを食べていたので、7:25発の列車の間に合わず、8:33発、秦達発天津経由の列車に乗ることになりました(硬座 35元)。切符を買う際、切符売り場にはしつこいバス、タクシーの客引きと並ばない多数の中国人で不快な気分でした。なかでも切符を買う際、横から手を出してくる奴らは最悪で、1人は押しのけて、あちらが文句を言ってきてもそ知らぬふりをしていました
(だから民度が低いこの国はいつまでたっても発展途上国扱いされるんだよ!!)。
天津駅の長い長いエスカレーターを上り、着いた硬席候車室は京津特快とZ上海行き(硬臥)だけの専用室です。朝ということもあり、室内全体は思ったほど人はまばらでした。ただこの席だけは京津特快に乗車する乗客が既に大勢座っていました。この日は7時過ぎに太陽が昇り、寒いですが朝焼けの中、秦達から来たT536次がヘッドライトを照らしながらホームに入線する姿が見えました。列車の到着と同時に、ホームへのゲートが開かれます。自分は3号車でしたが、3号車はあっというまに満席になりました。
列車は寒い天津駅を後にして、途中天津北に停車した後は途中停車なしで北京に向かって行きます。天津といい北京といい、河北の大地は冬になると荒涼とします。土埃の舞う河北は住む者にとって苛酷な環境といえるでしょう。この日の天津は晴れなのですが、気温が雪が降る日なみに寒かったことを覚えています(北京は午後から雪でした)。硬座席は2+3ですが、緑色車両と違い、硬座でもきれいなシートカバーがかかっています。この列車で困ったのは、車両2箇所ともトイレが壊れていたことです。
本来ならこういった生理的に必要なものはすぐ直すべきなのですが、この国は使いっぱなしの国なので、なかなか直さないでしょう。だから壊れているトイレに客が無理やり入るものですから、新型車両のトイレでもどんどん汚れて行きます。こちらは使う気にもなれず、北京地下鉄のトイレまで我慢しました。
列車はあっという間に北京駅に到着しました。反対側に合肥からのT64次が停車していたので、10分ほど撮影していました。薄暗い地下道の出口を抜けると、たった6日ぶりですけど懐かしい駅前に出ました。これから大学に戻り、午後から授業に行かなければならないので、すぐ地下鉄に乗りました。
京津特快は本数も潤沢で、おかげで切符も購入しやすいのですが、2階建てですから席の希望(窓、通路、2階等)を聞き入れる切符販売を行ってもらいたいです。これはZ列車でも同じことです。ただ昼間ばかり走るのではなく、夜7時や8時に昼間減らした分を追加すれば(ホームライナーみたいに)乗客の利用率あがります。
だから上海行きのZ列車を1本を夜8時代、1本を夜9時代に廻し、先にZ列車発車後、空いた分を京津特快に廻せば今より乗客の乗車率はそれぞれ上がります。今回で超乗り鉄は終わりです。今までこの拙文を読んでくださった皆様ありがとうございます。 |