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最後の3泊4日列車:K156次:昆明ー南京

06年5月4日〜5月7日乗車 著者:寝台軟様

*文章および画像は著作者にあります。したがて無断使用は厳禁!!

昆明-南京,3晩夜行 K156次

 大陸は広大で、鉄路は遅い。かつてはそれが例外ない常識であり、車中3泊4日の汽車旅というのもそう珍しくなかったものと思う。
 中国最長の列車、上海−烏魯木斉のT52/51次も3晩夜行として書物で紹介されているのを見てきた。そして死ぬまでにこういう列車に1度は乗って見たいと憧れてきた。そして21世紀となり、インターネットのおかげもあって、ようやく中国鉄路の旅がサラリーマンの自分にも可能となった。
 しかし、既にT52/51次は2晩夜行と大幅なスピードアップを果たしていた。加えて上海在住となった03年当時、1本だけ上海−昆明に残っていた3晩夜行があった(K181次)のだが、「時間をつくって…」と思ってる間にすっと消えてしまった。

 3晩夜行の探し方については、中国全国時刻表の列車リストでまず約54時間以上かかるものをチェックする。というのは3晩だから中間が2昼夜48時間、これにだいたい夜遅く23時出発-朝早く5時着として前後最低+6時間、合せて54時間というワケ。

 みつかるのは、快速列車では今回レポートするK156次昆明/南京西の1往復、あとは普快が8本くらい(国際列車は除外。昨年10月の時刻表では 1037~1040次が24時間少ない誤植となっている--;。御注意)。しかし、朝昼に出発し第三夜遅くに終点に着いてしまう型が多く、手元の最新06‐4時刻表ではこのK156次(逆方向は2晩運行)のほか、1011/4次烏西→成都、1081/4次烏魯木斉→重慶。遂に合わせて3本だけとなったようだ。
 他の2本は終着駅に朝5時着と早過ぎ、このK156次のみが8時とまぁ適当な時間となっている。しかも所要時間57時間45分は中国No.1らしい。No.1といえば聞こえが良いが、最長距離タイトルのT52は4千余km/47時間に対し、こちらは3千余km、それに約10時間も余計にかける鈍足K列車ではある。

 このGW労働節は海外は初めての妻を連れ母国へ、往復をフェリーで一時帰国を計画していたのだが、上海領事館の明らかに杜撰かつ
不案内・不適切な「査証拒否」を妻が喰らい、今回帰国は断念。その後も彼らの隠蔽体質そのものの対応態度(例えば、面と向かって名前も
名乗らない…常識では考えられないがホントの話。要は名乗れないような仕事ぶりなのか)もあって、仕事への意欲も非常に殺がれる
ばかりか、母国不信から不眠にまで陥った。
 因ってそのリフレッシュのため、その期間を夫婦で雲南省への国内旅行にしっかり利用させてもらう事にした。
 転んでもタダでは起きへんで( ̄〜 ̄)ξ。
 ま、暗い話はこれくらいで置いて、そんなこんなで半ば諦めかけていた3晩夜行の乗車であるが、この雲南ゆきの復路に、「フェリー蘇州号」代わりに組み込んで、めでたく?乗車できることとなった。
 因みにキャンセルした「蘇州号」も、このK156次も、手配はY&Mの石井さんである。

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【第一日060504】昆明站出発
 昨年新築の駅舎で、軟席候車室は空いており快適であった。1Fのおみやげ店もキレイでなかなか充実しており、特産のコーヒー豆など購入。駅ビル内のホテルも無論新しく、試営業とあったが標準200元と安い(站東楼賓館0871-6159556)。
 出発約35分前の21:55頃、改札開始。先にまさき様が掲示板に「エレベータで跨線橋へ」とレポートされていたが、何故か今は止めている。これは1日にここから乗った大理ゆきのときもそうであった。改札時「階段へ」と言われる。むかう人数も僅かで、きょう昆明カルフールで買い込んだ食糧含め重い荷物を背負って、ついエレベータに目がいってしまうが、階段下ではしっか
り女職員がコースを外れないよう手招きしている。


  硬席は待合室へエスカレーターで上がるようなってるのに…まぁ階段から徐々にせり上がる構内のパノラマを見るのも、我々鉄には悪くは無いが。  全国共通「白色パイプ骨構造」の新築構内である。7号車、RW25G 552372に乗り込む。高いホームでデッキによじ登らずにすみ、楽だ。

 幾分やつれた25G客車だが、車内は適度に空調も利いており、ひとまず快適な感じである。

 「チーハオ…、チーハオ…」。目線もうつろに廊下でそうつぶやき続ける青年がいた。同室の紀クン、台湾人。聞くと大陸を旅行中という。ビジネスで日本への渡航暦も有との事。
 きょうは4日。「チーハオ」とは7日、すなわち終着南京への到着日である。彼はまさかそうとは知らず、せいぜい「明日の夕方ころには南京かな」くらいの感じで乗ってきたらしい。車掌にこれを聞きかなりのショックだったようだが、お気の毒さま大陸は広いのである。
 紀クンは1日に購入したが、すでに上段しかなかったとの事。
 我々2名は石井氏手配でバッチリ下段。寝台番号は1と3(奇数が下段)で1号室となる。車端部は一般に揺れが大きいのだが、お供は「洗面所が近い」と喜んでいる。コンパートメントには紀クンともう1人が上段に入り、4席埋まる。他のコンパートメントも上段まで満席近い入りの模様。
 スリッパはゴム製のが常備されていたが、洗って袋詰めはいいが乾燥不十分でぬれており、2つとも左足用のものだったりして中国らしい。

 定刻3分前の22:28、列車は静かに足掛け4日の旅を始めた。牽引はSS3電機。コンパートメント客室は進向右側。次の停車駅まで2時間半ある。軽くイッパイやって、同室者の同意をとり消灯した。


【第二日060505】安順〜金城江
 安順手前で目覚める。ここには半年前まで上游蒸機が活躍しており、往路訪ねたのだが残念ながら超合金塗装?のDF7型ディーゼルに置き換えられておりスカを喰らった場所である。しかし情報はそれだけではなく、地元鉄チャンのレポートで「KT15」なる上游に解放のテンダを繋いだ様な蒸機がいたとの画像付き情報があり、その後これを探したが見つからなかったとの日本人レポートも見た。
 何かあるかもと貴陽まで窓外を注視したが、やはり何もナシ。ただ景色はよく、桂林とまではいかないが、象潟を横5倍、縦10倍に伸ばしたような感じかな。

 貴陽西郊の湖潮では、北へちょっとした分岐線があるが、待機しているのは凸型DF7ばかりであった。
 貴陽に近づくと、却って山がちとなってきてトンネルあり橋ありで、撮影に面白そうな区間となる。それを過ぎると市街手前で右側に、見下ろすようにセメント工場の電化ナロー線路が見えた。存在は既にHP上にも紹介(烏江水泥)されているのだが、工場とヤマを結ぶ区間は現物線路を目にしてなかなか味わい深く、往路、時間をとって訪れたらよかったと後悔。また改めて訪問したい所となった。


 貴州省は省別GDP最下位と聞く。その省都貴陽で早くもぞろぞろと下車。軟臥に残る客は我が1号室(1名は下車)と、反対の端のほうのもう1室のみとなり、ガラガラである。この先、目的地の南京とは遠ざかるように南下するから、再び埋まるのはどこだろう。

 結論を言うと、結局埋まらなかった。軟臥はこの1輌、8室あるのだが、途中客が入ったのは1−2室のみで半数の部屋が空室で南京に到着したのである。少なくとも、第三日目の5月6日など湖南・江西省を走ったのだが、7日までの労働節休暇を終えて都会へ戻る需要はあるはず。しかし、現在の「始発付近にしか割り当てない」きっぷ発売制度が原因であろう。このあとずっと空気を運んでいるのであった。全くもったいない。
 逆に、この列車の貴陽以降での乗車は、無座票などで乗っても「補票」が容易と言えるから、この方面旅行の際には覚えておくとよいと思う。

 因みに硬臥は、上段は多数空き、中段も一部空き、下段のみ埋まってる感じだった。
 ほかにも過去、上海-阜新の1228次の天津以遠なども同じ傾向を見ている。
 もっとも実際自分が乗ってる分には、洗面所なども空いてて快適ではある。

 貴陽では、先日4/30に安順から乗った双層車N875次六盤水ゆきをホームに見る。六盤水へは右手に凄く深い谷が続く路線だった。また六盤水は標高が高く「涼都」と呼ばれている。そして上游蒸機が鋼鉄厂に多数残っていて、ヤード等での見学は容易だった。
 ほぼ定刻(9:31)、進向は変わらず出発。10分ほどの小站で、右窓におっと前進型蒸機の廃車体が…。しかし廃車とは言え、思わず「前進」を拝めただけでちょっとトクした気分になる。 しかしこの辺で前進路線は聞いたことがない。未知の路線が眠っていたらしい。

 早くも列車は深い山峡へと進む。紀クンがベッドの下にあった大きい木箱から、「昆鉄客運段」と書かれた陶器のカップを取り出し、お茶を
勧めてくる。このカップ、かつて軟臥には出発時テーブル上に並べて置かれていた、「蓋つき」のアレである。箱には定員分は揃っていた。いまはこの「カップサービス」は止めてしまったはずだが…。紀クンによると、前回乗った列車でも使ったよとの事で平然としている。
 ありがたく苦茶を頂戴した。車掌からのクレームもなし。

 貴定で、まっすぐ上海方面を目指す湘黔線と分かれて「黔桂線」を南下する。だいぶ走ってから一旦逆にあちらが右へと南下。その後どこかでクロスしたようだ、山岳路線ならではの線型である。遠くに電機の貨物が見えた。鉄路史を見るとどうやらこちらが先に開通した、いわば
旧本線ルートらしい。
 渓をはさんで対岸にはガードレールもない土道でいいムードである。ループ線もある。突如右下に線路が見え、トンネルで左カーヴを続け
出た所が先に見下ろしていた地点と意外にも下り坂。地図を確認すると、この南下区間はよくある特定の川沿いといった型でなく、山地を縫ってアップダウンを繰り返すパターンとなっている。古い路線らしく、くねくねとカーヴも多い。
 線路は「布依族苗族自治州」をゆく。
 
この黔桂線は単線非電化で、みると見慣れぬDLが牽いている。DF7D型とある。片運転台式でどの列車も背中合わせの重連牽引となっている。ボーゲン网東は掲示板で「大北京型」だと教えてくれた。が、「中国鉄路研究」さんのページでよくよく確認すると、そっくりだがちょっと違うようだ。

 まず「大北京」は永久連結とあるが、車番や色あせ具合からここのはどう見てもランダムに組み合わせている。それに北京型族ならDFとはならないだろう。DF(東風)は電気式で、北京型は液体式なのだそうだ。
 しかし天安門のエンブレムは付いているから「ニセ大北京」(製造は二七厂)である。しかし、なかなかカッコ良くてあの凸型「DF7」と明晰に
区別するためにも、何かニックネームをつけてやりたい。
 見た所、省境の麻尾を界に北の貴州側は朱色、南の広西側は緑色のDF7Dが活躍している。
 朱色は『朱龍・チューロン』、緑は『緑龍・リュイロン』なんてのはどうだろうか。「龍」を思いついたのは、中国鉄のHPにループ線のことを「回龍道」と呼んでいるのに影響された【以下この表現を使用】。

●下記アドレスをご覧ください、凄い路線!、場所は拉易(広西自治区)付近らしい
http://hongdou.gxnews.com.cn/forumview.asp?topic_id=1252474+

 中国蒸機は風前の灯となったが、この風景、このDLなら撮影意欲も沸こうもの。
 ただ沿線には新しい賓館など見かけなかった。訪問は多少サバイバルチックなものになりそうだ。


 12:40都均[yun 土へんはナシ]で「広州-内江」のサボをさげた列車と交換。グレー+トリコロールというカラーリングのYZ22が混成されていた。网東に訊ねると、広州の三茂線でよく見る塗装との事。この列車六盤水站の時刻表にL109/12として表示されているのを見たが、臨時といっても多分毎日運転のケハイである。
 ここには『チューロン』の基地があった。
 続いて13:00、川弓。2302次重慶ゆき緑皮と交換。
 14:05京寨でも小規模なループ線、こんどは登りだ。
 14:50独山、やはりトリコ色客車混成の1319次 広州-重慶と交換。
 16:10-42,星朗で32分も停車し、対向K337鄭州/貴陽と8643次慢車の2本に道を譲る。この他貨物列車とも多数交換があった。
 あまり車窓には姿を現さないが、ほぼ並行して高速道路もある。この鉄路も幾度かトンネルで直線化などの線形改良工事をしていた。

 麻尾の手前、寿chou洞・峰洞あたりからカルスト風景の区間となった。桂林タイプの山々が平地にポコポコとのっかっており、平地部分には
湧水の水溜り、ドテッ腹にぽっかり孔の空いた山もある。田畑には水牛、馬、アヒルなどがたわむれている。土道をゆく小さなバスや馬車など。天気もまずまずだ。高い門票を買って訪れる観光地より、この車窓の方がずっと素晴らしいと思うが、お供も紀クンも暢気に寝ている。
 田植えと稲刈りの両方を見る。農夫たちは地名から大半が少数民族のはずだが、見分けはつかなかった。彼らの現実は決して楽ではないのだろうが、軟臥車窓から眺めるだけの私には桃源郷のように映った。


 しかし困った事が出てきた。この客車、電源が無いのである。予想外の素晴らしい風景展開のせいもあってデジカメ電源残が厳しくなってきた。
 コンパートメント内にないだけでなく、通路に差込み口はあっても3ツ又タイプで、あいにくこのタイプの器具は持っていない。2本の歯(?)をハの字にひん曲げて…という方法があるのだが。


 車掌に相談してみると、彼女らはあっさり断言した「この列車は電源はないのよ、通路のアレも使えません。食堂含めどこにもナイよ」。ひえぇ〜、ホンマかいな。どうも怪しいが、やむなく断念した。站ホームでも車販でも、単三電池など売ってなかった。か細くなった在庫を騙しだまし使うしかない。

 17:07、定刻より5分早く麻尾着。デッキに行くと珍しく車掌の方から「ホームに下りていいよ」と声をかけてきた。機関車交換で確実に暫時停車するからだった。で、ここから『リュイロン(緑龍)』牽引となる。しかしいったいどこまでか。かつて、この先の金城江までは逆の柳州側慢車で行った事がある。が、この時はたしか緑亀DF4D牽引だった。金城江で『リュイロン』を見た覚えがないのだが…。

 18:00、食堂車へ。味はまずまず、なんと言ってもご飯が肝心で、往路の上海→漢口K11など最悪だった。
 広西自治区に入り、車窓はカルスト×山峡となる。食後たぶん1845頃、先にアドレスをご紹介した「拉易回龍道」を通っているはずだが、この時はそんな予備知識もなくここを見落としている。


 5月、この季節は旅には最高の季節だ。まだ暑くなく、新緑が美しく、またなんといっても日照時間が長い。さらにこの辺りは北京時間軸よりかなり西に偏しているので、夜8時前まで車窓を楽しめた。18:30、19:10、19:50、20:15と貨レと交換。片方向ざっと1時間に1本、結構な物資輸送幹線のようだ。さらに客レもあるから、訪問しての撮影効率は悪くない。
 車窓ショーが終わり、紀クンの「台湾同胞証」やその事務手続きの話など聞く。そして蘇州、杭州なども廻るスケジューリングに参謀する。彼は今回の旅で「黄山」もまわりたいそうで、この列車が黄山站を通ると知り、途中下車を検討し始めていた。但し着くのは明日の深夜1時半(0時過ぎるから正確には明後日)と時間帯が悪く、結論は明日に持ち越し。
 ところで中国鉄路は「途中下車」が可能である。以前私も佳木斯→大連の列車
で鞍山でこれをした。下車時集札員に「あとの慢車に乗りたいが」と訊くと大丈夫との答えであった(結局バスが便利だったので不乗)。紀クンも車掌にこれを確認、あとの黄山→南京の便もしっかり教えてもらっていた。その細則は不明なのだが、まずは車掌に相談すると良い。

 金城江手前で左側に、少し離れてかつて訪ねた『時刻表に載っていない』金紅線の「金城江西站」があるはずだが、目を凝らすも闇。
 21:20定刻、金城江着。またホーム許可が出る。やはり機関車交換との事。はたして『リュイロン』はやはり麻尾-金城江間の運用だった。ホームにも電池の販売なし。日本なら10分停車でも、「途中下車-駅前商店-再乗車」と出来るが、中国では不可能。站出入り口とも人の渦で、加えて早発は平気でやる。仮に30分あっても車掌に阻止されるだろう。仕事がややこしくなるような事は認めないのだ。言葉が自由なら違うかもしれないが。

【第三日060506】永州〜景徳鎮
 6時過ぎ永州の手前で目覚める。雨上がり。湖南省だ。ここでスイッチバックするのを確かめたかった。寝てる間、たぶん柳州で方向転換したようで昨夜とは逆向きに走っている。2分ほど早発の06:40、やはり転向して再び昨日と同じ進向方向となった。出発後右から寄ってくる線路と合流した。これが旧来の本線と思う。たぶん永州通過であれば方転なしも可能な三角配線らしい。
 永州はもともと分岐のない中間站だし、山峡でもない。なぜ方転するか不審で
あったが、今回の旅の予習でなんとなく分かった。ここから北へ分岐し、湘黔線婁底を抜け益陽までの新線が出来ているらしく、その方向へ
一旦突っ込むもののようだ。将来新線側がメインになるのであろうか。永州新駅付近は完全に町外れで、自治体がこの辺を新たに開発した
い目論見でもあるのかも知れない。


 この辺は以前2度ほど乗った区間で目新しくはないし、昨日のようなインパクトもないのだが、雨に洗われた新緑がきれいでなかなか良い。
相変わらず水牛もいる。だいぶ降ったようで、溢れている水田もあった。湖南省は米どころだそうだ。
 貴陽・昆明方面の幹線として線路改良が進められてるようで、かなりの部分で新線区間を走る。
 衡陽から電化複線の京広線を一時北上。昆明を7時間ほど早い15時のK80次に
乗ったなら、ぼちぼち上海に着いてしまう時間である。が、口に出せばお供が騒ぎ出すので黙っておく。しかし案外このお供、「まだ2日目アル
、まだあと2晩アルヨ」とトボケたことを言っていたから、早くも乗り足りない気分の沸いてきた私の病気がいくぶん感染ってきつつあるようだ。

 省都長沙から京九線で南約50kmの株洲で、また方転して東へ。小豆クリーム色のDF4Dが牽いている。お供に進向席を位置交代してもらう。ここで車内補票をうけたらしき数人が、2つのコンパートメントに入ったケハイである。
 まだ11時だが、南方名物?素朴な焼き椀に詰められた「駅弁」で早メシにする。北方では弁当は食堂車の専売だが、この方面にはこういう強力なライバルが存在する。食後は車販のカット西瓜1カップ1元、でら安。グレードは違うものの上海あたりの車販では5元以上する。
 紀クンが、どうしてこうも方転をするのか不審がっているので、地図冊を見せて説明する。そういえば台湾の鉄道は、全体がだいたい環状線+枝線程度のモノだからであろう。こっちは編網路線だ。ただし、さすがに彼も阿里山鉄路の事は知っていた。

 株洲からは新線改良工事中の区間らしく、単線運転の対向待ちが多くなる。南寧-無錫の1380次と雁行で走る。
 醴陵手前で廃線道床を跨いだ。いまでも殆どの地図に醴陵から北への支線が載っている。ナロー線で客運もあったのだが残念、実態はこれである。

 江西省に入り、約10分遅れで萍郷12:53着。いよいよデジカメ電池残が赤ランプとなった。
 14:00、分宜通過。通過後右手に文竹への支線分岐を見るが、おっと遠くに黒い鉄塊が!建設型蒸機である。2両が向かい合って停まっていたが残念ながら息吹は感じられず、どうやら廃車体のようだ。昨年の国慶節にここを慢車で通った際は気付かなかったが…。

 定刻16:40向塘、省都南昌の南30kmの站だが、相変わらず乗ってこない。明日で労働節も終わりだから需要はあるはず。しつこいようだが、切符を買えなくて泣いている人も多いはずなのに、結局南京までこの程度の「入り」なのであった。
 柳州、永州、株洲に次ぐ4度目の方転をし、出発時と沿い目方向に出発。これが最後の方転になった。
 頭上に電化の高架線が見える。ここでの方転を解消する新線建設だろうか。

 18:45鷹潭着、15分遅れ。向かいに鷹潭-景徳鎮/厦門のサボをつけた緑皮客車が停まっている。時刻表をひもとくと、厦門から昼前景徳鎮に着いた2050次が、折り返し間合運用的に慢車8311次として鷹潭に到着した所と分かる。この手のサボは、差換え省略手抜きサボと言え乗客案内上はよろしくないのだが、我々鉄族には運用が分かっておもしろい。
 もう北京時間軸付近まで来ているので、この先貴渓から北へ初めて乗る初めてのwangan線(安徽江西線)に入る19時頃には暮れてしまう。ちょっと雲南が恋しくなる。

 紀クンは黄山で下車に決めたそうなので、早めに消灯する。こちらも車窓が光の反射なく見易いので好都合でもある。闇の中、すぐ前の車掌室から漏れた光で線路脇が照らし出される。…宮脇俊三氏の旅行記にもこんなシーンがあったな。
 wangan線は単線らしく、妙に長い交換待ちが多くなった。客レや緑亀貨物などにじっくり停まって道を譲る。次の停車駅は21時半の景徳鎮となっている。
 その21時半頃、小便がしたくなりトイレへ行くが施錠されていた。もうじき景
徳鎮かと思い、出発まで我慢とする。が、1站、また1站と通過するも景徳鎮に着かない。3站を通過した所で車掌に訴えた。「小便了!」、「すぐ着くよ」、「もう3站も閉まったままだぜ!」、「んん、快点那…」、開けてくれた。
 さらにもう1站を通過してやっと景徳鎮に着いた。なんと1時間以上遅れているではないか。以前より気になっていた所であるが、どうも車掌連中すら、いまいったいどこを走っているのかはっきり把握できていないらしい。
 中国の駅名板には照明はついていない。沿線にも地名を表示するものは乏しく、しかも今は闇の中である。車掌は日頃から景色を眺めて
いるわけではないから余計であろう。わからないのだ。しかし停車駅に着くまで車掌に遅れが分からないというのは問題である。
 沿線に「次の街まで○km」といった看板を立てたらどうだろう。その街の酒店賓館公告も兼ねるなどして、費用は広告収入で相殺すればよい。

 深夜1時半ETAの紀クンは気の毒である。1時半なら、こちらも下車まで起きていて見送ろうかとも思っていたが、こりゃだめだ。
 停車で紀クンもちょっと目を覚ましたようなので、「晩点了」と知らせておく。
 明日はもう終点南京西に08:16着予定である。


【第四日060507】馬鞍山〜南京西
 紀クンは予定通り下車したようだ。丸めたセーターをベッドに置き忘れており、車掌に預ける。

 昨夜は、このまま遅れて朝ゆっくりできればいいな、と思った。
 が、中国鉄路のダイヤの仕掛けはどうなっているのか、馬鞍山には2分早い0621に着いた。
 今回の旅で、湖南省の婁底から貴陽まで乗った1091次(温州-貴陽)の時もそうだった。婁底では「晩点無消息」というふざけた案内の末、1時間15分遅れで出発、その後も謎の運転停車を繰り返していたのだが、0513ETAの終点貴陽
には何故か20分早着、…まだ5時前ですぜ。勘弁してくれ(*.*~~。
 馬鞍山付近では線路西側に鋼鉄公司があって、その専用線が一部並行する。ここにはSY蒸機健在と聞いていたので、上空の煙ふくめ目を凝らすが、全く見えず。見たのはデカい溶鉄貨車?とGKやDF7などのDLのみだった。

 この辺りも郊外は水豊かな感じで、風景は良かった。
 デジカメ電池は、よくない事承知で4本中にシェーバーからの2本も動員、混用した。が、すぐ赤ランプとなり、あまり効果はなかった。

 07:00南京南郊の西善橋站で停車、対向黄山ゆきの緑皮慢車が通過していった。慢車も停まらぬ站に停まって譲るとは…とも思うが、先を急いでいるわけでもない。ぼんやりそんな事を考えていると、うぉ、突然蒸機の汽笛音
とともに窓外数mをSY蒸機がシュコシュコ走ってくではないか!!
 こ〜れは聞いてないよぉ。呆然(’’;)… 。カメラを向ける余裕もなかった。迷彩服のキャブ職員と1701の車番が網膜に焼きついた。
 帰って欧米鉄のHPを調べると、さ〜すが『SY1701=Xishangqiao steel works、南京の南西』とチェックされていた。しかしLast seen(最終目撃)は95年となっており、もう10年も前の情報である。SY1701、彼はまじめに黙々とここで働き続けてきたらしい。またこの直後5/27付け中国鉄の海子网に『西善橋-建寧-古雄(西善橋の次駅、南8km) 小運転』としてSY1157(これは欧米鉄もノーチェック)の画像が発表された。詳細はまだ不明だが、間違いなくここに蒸機が現存する。
●海子鉄路网社区>車迷貼図>
http://bbs.hasea.com/viewthread.php?tid=135357&extra=page%3D8

 南京南站を通過、トイレは閉鎖された。じき南京着と思ったが、ruralな所を結構30分も走った。07:35、7分早く南京着。
 出発は定刻08:08で、これまた30分もある。当然、殆どの乗客が下車する。乗ってくる客はもうなく、乗降ドアは早々に閉じられた。私も西站付近に所用があるワケではない(尚、お供には西站が便利と説明(^^;)。もはや『K156
次に端から端まで乗ったんや!』と言わんがためだけの残り1区間で、回送ムードの車内でその時を待つ。
 08:05発車。3分早い。しかし最長時間列車の執念か、最後の1区間にも構内を出外れた所で一旦停車その後もノロノロとじっくり時間を
かけて進み、所定時間を見事にクリア。+6分の08:22終着站、南京西のホームにその長かった歩をのっそり止めた。



 南京に朝着は絶好の付近探訪のチャンスだ。旅の出発時はそのつもりだったが、明日から仕事でもあるしお供、荷物、電池、腹具合の諸事情を勘案し、未乗の地下鉄だけチョイ試乗だけして、速行で上海に帰ることにした。
 労働節最終日、この先きっぷが問題である。何も手配してこなかった。
 南京西站の「今日票況」は、夕方5時の4ケタ普快に「有」が出ている。これは低速便で、上海夜10時の到着となってしまう。その前の便はALL「無」であった。
 因みにやはり下りは空いてるようで、10:23昆明ゆきはALL「有」であった。
 バスで鼓楼に出、地下鉄とタクシーを乗り継いで中央門汽車站へ。人でごった返していたものの、あっさり1時間待ちで高速便の席が買えた。


(おわりd(^_^o))



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