鴛鴦徒然東北縦断記:上海ー哈爾濱ー黒河
06年1月28日〜1月30日乗車 著者:寝台軟様
*文章および画像は著作者にあります。したがて無断使用は厳禁!!
●上海→哈尓濱 K56次
嫁の故郷、黒河を訪れるため、2人で旧暦の大晦日にあたる1月28日上海発のK56次に乗りました。
私は、黒竜江省はもうこれで5度めになるのですが、これまで寄り道ルートなどしていたため、この伝統(?)の滬哈急行は未乗でした。
紆余曲折(※1)はありましたが軟臥下鋪を春節オフ割引の693元で、2枚ゲトできました。
旧正月も大晦日となると、このような長距離旅客は減少することと、それに割増期間を設定しているため逆の割引期間を設けておかないと世論がウルサい為でしょう。とにかく定価770元の10%offでした。
朝09:07発に市民としては少々贅沢ですが、上海站に発着する列車がよく眺められるという「鉄路大厦大酒店」を試しに前泊してみました。
旅行屋石井氏がよく按排してると聞き、鉄路ビュー指定で手配してもらいました。ホームエンドの「上海」の赤い文字をずらっと見下ろす眺めでした。電柱がなければもっと良かったのですが、それでも上々の眺め具合です。大厦は三角形断面らしく、部屋のおよそ1/3がこの鉄路ビューになると思います。一般客には汽笛がウルサく北向きの部屋でしょうから、おそらくこのリクエストには問題ないでしょう。
夜晩くなっても緑皮の臨時列車が次々発着し、興奮モノでした。
乗車前にボーゲン氏から「K56次は2,600kmの鉄路を行くアルヨ」と教えられました。
長距離とは言え所詮1泊列車くらいに思ってましたが、数字を突きつけられると…長いですね。記録更新かなと調べてみると、一昨04年に芭石鉄路初訪問時、コースが面白そうで選んで乗った「上海−(武昌,襄樊,達州経由)−成都」の1215次2晩列車(現K351次,1晩化)の方が、わずか10kmほど長かった。このときも旧暦元旦の出発だったな。
春節と言うと「切符が買えない」というイメージばかり強いですが、このように旧元旦の直前直後の上海発長距離なら比較的入手容易のようです。北京なども同じでは。元旦にJRが安売り乗り放題を売るのと似た状況があるのでしょう。
前夜、上海站售票処の掲示では、K56にはまだ硬臥のみに残席有となっていました。 但し中国は「人口だけは非常に豊か」なので日本と全く同じではなく、なかには元旦早々から硬座に多数立ってる列車も目撃しております(04年の車窓、福州−上海便)。
列車は定刻に発車。02年長春製のRW25G、赤とオレンジ,灰色の快速色客車です。
全車両にテレビスクリーンが設置されているようでした。寝台の場合、窓の上に1台です。香港映画など上映され、上中段の無聊(退屈)を和らげる効果抜群のようです。
まれにある事ですが、軟臥には通常あるべきスリッパの配置が省略されていました。汚い便所へ行くには装備のゴム草履がいちばんなのですが、やむなく持参品で対応。苦情簿?に記入しておきました。
しばらくは見慣れた車窓ですので、早速持参の紹興酒をあおってひと休み。
目が覚めて南京站。聞いてはいたけど、ちょっと見ぬ間にすっかり新しい駅に変わっていてビックリ。しかし最近のこの手の作りはどこもこの「白パイプ組みドーム型」ばかりですね。新曙光が入れ替りに上海へと出て行き、上海−銅陵のサボを下げた緑皮客車が残りました。緑皮と白パイプ站の組合せも一興でした。
今回車窓で気づいたのですが、京滬線の貨物列車のダイヤは、数本を束にして組んでるようです。
そういえばZ列車のダイヤも似たようなもんですね。
1343-50の7分間になんと4本の貨物とすれ違いました。牽引機はいずれもアメロコ型のDL。
蚌埠を過ぎて、1513-41では今度は10本も連続。鉄のインゴットらしきものを積んだ貨車を何度か見かけました。比重が重いので荷の高さは低く、インゴットの上には盗難防止の為であろう番人が座ってました。こんな真冬に(O.O;) ・・・過酷極まる仕事です。
1406には姉妹列車らしきのとすれ違い。しかしむこうはステンの銀色サボでした。こちらは普通の白板。
あと春運期間に起因するらしき、変わった列車をいくつか目撃しました(詳細は未確認)。
・1412 水色とクリームの客車、1等つきの25K型?…通常この形式、南京より先へは行かないと思うが。
・1430 貨物用ライトグリーンのアメロコ型牽引、緑皮客車。
・1436 跨越牽引の快速色客車。
・1550 符離集で。ダークグリーンのアメロコ型牽引、北京−常州臨時緑皮客車。RW25含む臥舗も連結。
蚌埠を出てからもまだ硬臥に余裕有との案内放送がありました。覗きに行ってみましたが、所々に空いてるのはやはり殆ど上段、一部に中段の状況でした。
1700頃、食堂車の予約訊きが来ましたが、なんと120元、150元の2種という高額でパス。
1730、アラカルト注文のつもり食堂車に行ってみました。なぜか内容は「自助餐25元」。結構混んでおり通路側にやっと空席を見つけ、待つ。15種のおかずをが出てきて全員がわっと集り、並んで工人食堂にあるようなよれよれのステンの料理トレーを受取り、並んでおかずをpick。
米は中国標準のあの米(;_;)で、気分は全く盛り上がらないが、酢豚(古老肉)だけはウマかった。
120元ナリの予約料理を食べてるテーブルがあったが、陶器のお皿には盛られてはいるものの、料理の質は見た限り同じようなモノで、それほどの価値は感じられない。但し120(150)元はテーブルあたりの料金だそうで、4人揃えばこの方がよかろうとの感じはしました。相室の若夫婦は我々の感想を参考に、15元の弁当をチョイスしてましたが、これが正解かも。
食堂車の先は硬座で、食堂営業中は通路開放されていました。覗くと全員着席の状態で、天井からはテレビスクリーンがぶら下がっておりました。硬座とはいえ、なかなか明るいムードでした。 食堂から戻ると、また寝てしまいました。
目覚めると0020。旧暦元旦です。しまった!イナカの年越しの乱痴気騒ぎを見逃してしまいました。
中国の年越し騒ぎは激しく、上海では戦争でも起きたかと見紛うほどの花火&爆竹騒ぎになります。以前これを、屋外は危険なので団地型の自宅に引き篭り窓から眺めましたが、閃光で建物の影がとなりの建物におち、それはもうパトリオット状態でした(O.O;)。
ですので相当イナカでもドンパンやるはずで、そのピークを安全な車内から黄酒なめながら「走馬灯のように」眺めたかったのですが…。もう天津の郊外で、まだ花火が上がるなど乱痴気の余韻は続いていましたが、まさにあとの祭り(;_;)。
29日0928雪の中、20分遅れで瀋陽北着。この駅もパイプドーム屋根に変わってました。
要人専用列車が止まってました。なぜか食堂車が3両も続けて連結されています。…将軍様の送迎戻りかも。
機関車をつけかえたらしく、軽いショックがありました。電機かな。気になって、窓から先頭の機関車を確認を試みれども、大きなカーブも少なく、結局下車後まで見れませんでした。
哈尓濱に着いたら旅行屋石井氏の手配してくれた、その先黒河までのN33次の軟臥票を旅行社へpick upに行く必要があります。今日は元旦、5時までには必ず行くから待っててちょ〜!!とTELを女房に入れさせます。心配ナイとの事。
雪はあがって1230、大地の子・・・陸徳志の故郷「範家屯」通過。右窓にかわいい軽軌電車が並行し14分遅れの1250長春着。
1350から1時間ほど対向列車をチェックしてみました。貨物はほぼクリームと水色の電機牽引(管理人注:SS4)でしたが、客レはメタリック電機のSS9と、あずきクリームのディーゼルDF4D型とが半々でした。まだまだ架線下ディーゼル、多いです。
ベンゼンを孕んで凍てついた松花江を超え、扶余1425出発。
1430ころ、また姉妹列車とすれ違うはずとカメラを構えましたが、上下線が遠く離れてしまい見ることが出来ませんでした。
黒竜江省に入り、1454双城堡。遅れはほぼ回復しました。相室の若夫婦はここで下車。竜宮城のような駅舎でした。
そして哈尓濱には定刻1537到着。先頭の機関車を見に行きましたが、早くも離れたあとでもういません。
行く手を望むとメタ電機SS9がおり、方転して左(北)奥の機務段方向へ引っ込んでいきましたから、コイツにちがいないでしょう。 まったく下班了ばかりは素早い人民です。
これで30時間半の火車旅は終わりました。
【K56その他memo】 ・コンパートメント内に電源有。さらに通路にもありました。
・軟臥下段の背ずりは固定式でした。昨年乗った連雲港-北京西のRWは下部が手前に出せるものだったが…。昼走る時間が長い列車なので、ぜひ欲しい設備です 。
・初日のトイレは、見た限り常時紙が補充されており、掃除もなされて感心しましたが、2日めは昼前から紙切れでした。
・途中スイッチバック(進向変更)はありませんでした。
●哈尓濱→黒河 N33次
この先さらに1932発のN33次に乗継いでロシア国境の街、黒河へ。これが女房の故郷です。
このN33次ですが、05-10月の全国時刻表から何故か削除されており、さらにインターネット時刻検索からも消えていて廃止されたのではとも思え、相談した阿部さんにも心配をかけてしまいましたが、石井氏に「場合によってはバスでも可(昼間に既乗の区間なので)」としてに託してみると案外あっさり軟臥OKの返事がきました。
哈尓濱站の残席状況の電光掲示を見ると、これまた何故かN33次は飛んでましたが、壁貼りの出発時刻表(05-11)には載ってました。また駅前で3元で買ったローカル時刻表にも載っていました。
旅行社には逆行と信号無視のタクシーで無事?4時すぎに着き、紛れも無いN33次の軟臥切符が入手できました。 行ってみるまで分からない。悲しいかなまだまだこれが現在の中国なのです。
駅北東側徒歩5分のロータリー内には、冬の名物「冰灯」がありました。氷像の中に色鮮やかな照明を入れたモノで、切符を取って戻る頃には陽も傾き、軟座候車室に「行かない」という女房を託し、ひとりで見に行きました。
これは素晴らしい、とてもキレイです。しかもロータリー内とあって、ごじゃごじゃ人民もおらず、料金もとられずで小規模ながら満足モノでした。
N33次、牽引機はネコヒゲ塗装のDF4D。
客車はK56と同じく長春製快速色でしたが古く、通路照明は白熱灯。窓は上下2枚に分かれた形で、この寒いのにスキマ風は大丈夫か…と思いましたが、さすがに問題ありませんでした。朝には窓枠にびっしり霜がついていましたが。
さすがに元旦とあってN33次の乗客は少ないようで、相室ナシ。約1/3のコンパートメントが空室でした。形式はRW25Bとありました。元は緑皮の塗替えかな?、こちらはちゃんとゴム草履が用意されていました。またコンパートメント内電源も有。テーブル下の栓抜きは無かった。
定刻出発。郊外に出て窓の外は、いつもは真っ暗の各家々が、正月とあってありったけの紅灯やらチカチカ電飾をしており、一種異様でした。
洋式トイレは、ケツと便座が凍結する(推定)ため閉鎖。しゃがみ式も吹き込む風を防ぐため(推定)落下孔にゴム栓がしてあり、2号の用事は明日のホテルまでガマンせざる得ませんでした。
定刻0652、薄暮の黒河着。やれやれ、お疲れ様でした。
【N33その他memo】
・北安-黒河の北黒線には、この他日中2往復の普快(哈尓濱便と斉斉哈尓便)があり、一昨年10月にはいずれも旧式のDF3ディーゼル機牽引で運行されていましたが、今回このうち哈尓濱便のDF4緑亀への置換えを確認しました。丸いフォルムが魅力的なDF3は斉斉哈尓普快のみとなり、風前の灯と感じました。
・黒河駅東側のヤード先、果菜批発市場内引込み線エンドに満鉄テンイネの成れの果て「公務車GW95000」が工人休憩所として現存しています。
・黒河站の時刻表示が、正しく最新のものに直ってました(前回はかなり年代モノのまま放置されていた)。
・ここにも白パイプ組みの黒河新汽車站が1/27から火車站前に開業、旧汽車站とは打って変わって時刻表示もきちんと整備され、例えば哈尓濱行きが1日5本あり、所要8時間と判明しました。次回使ってみたい。
・ついに黒河にも肯徳基(ケンタッキー)ができた。こんなイナカにもようやくケ小平文化がじわじわ及んできたようです。
・帰りは全線航空利用しました(黒河-哈尓濱,毎日1本のみ有。因みに黒河空港も白パイプ組みです)。哈尓濱→上海便が異様にタイトでしたが、北京廻りにすることで解決できました。
※1 切符は最初、昨年元旦の広西旅行時に一度利用したインターネット予約をしました↓。
●滬鉄網 → 票務預定 が、この網頁おかしいぞ(?_?;。
たしか前回利用時は、予約入力前に「登録」があったハズでした。女房名義で登録しようと「首頁→登録」と進んでもそれらしい頁が出ず登録不能。で、登録せずとも予約フォームは出るのでそのままトライしてみた所、数時間後に回答メールが来て、うまくいったと思い込んでいました。あとは10日前の配達を待ちました。
念のため2−3日前に女房がメールに「問合せ先」とあったTELに掛けてみた所『空号だった、この網頁は騙人だ』と言っておりました。が、これは「どうせまた春節前で回線がパンクしてるだけだろう」と思っていました。
鉄路站などにもよく「なにかあったらこのTELへd(^-^)! 」と書かれてますが、春節前はどれに掛けてもまず通話中の「ツーツー」を聞くだけです。要するに、彼らは体よく情報パンクを回避しているのです(と推定)。
とにかく警戒信号です。
配達日になってもE-Mail含め何の音沙汰もなく、網頁は繋がらず(後に再開)いよいよ夜逃げくさい。ダブっても買いそびれてはならぬので女房に近所の窓口買いに行かせました。・・・無事入手。
あとで滬鉄網から2度来たE-Mailをよくよく見ると、1度めは書いてあった「預定票数:2」が2度めのメールで空白になってました。そりゃないでしょ〜、気づきませんぜぇ。
彼らにとっては「これで、モメても逃げられる」という頭なのでしょうか。あって然るべき「預定できてない」等の案内はなく不親切極まる。無論未だ「先日は不好意思」の一言もありません。
こういう陋習(ろうしゅう)は万博までに払拭して欲しいものです。
列車情報:K56次:上海9:07:27-哈爾濱15:37。距離2600キロ、約31時間。硬座276元、硬臥499元、軟臥770元。
↑ページの一番上へ 次へ(L139次乗車記)
|
|