一寸先は闇:T15次:北京西ー広州
06年3月26日〜3月27日乗車 著者:ボーゲン管理人
*文章および画像は著作者にあります。したがて無断使用は厳禁!!
27日深夜、やっと広州に着いた。タクシーを飛ばして、ホテル飛込みで服務員から部屋「有」と聞いた時は、思わず歓喜の声をあげてしまった。
今日の予定なら広州から広州東まで地下鉄で移動し、香港行きの列車に乗る予定だったが、これはパーだ。
勿論こうなったのは予期せぬトラブルが起こったためなのは言うまでもない。
本来なら26日に乗車したT15次:北京西→広州行きは18:19に北京西駅を発車するのだが、発車1時間半前に遅れの情報が出て、発車30分前に00:20北京西発と信じられない案内を耳にした。
他に遅れを食らった列車はT5次:ハノイ行きで、こちらは22:10発になっていた。
ふざけるな〜〜〜〜〜
と怒っても来ないものは来ないので大人しく待つことに。
後で分かった事だが、26日の午前に京広線上にある河南省の鄭州と許昌の間にある長葛という駅で貨物入れ替え用の機関車が脱線事故を起こし、それに伴い他の列車では北京西行きの列車はT98次を筆頭に6時間ほど遅れたようだ。
ただしT98次は北京鉄路局に所属し、北京西に到着後は発車は翌日まで持ち越せるのでまだいいが、遅れを喰らったT5次:ハノイ行きとT15次:広州行きはそれぞれ所属する柳州鉄路局と羊城(広州)鉄路集団は北京西駅で当日折り返し運転を行なっているので、遅れた分は遅れて発車させるので、結果として目的地に到着するのも遅くなる。
京広線を走る北京西→鄭州→西安・四川方面の列車はダイヤを乱すことなく正常運行を行なっており、また中国鉄道の威信をかけて走らせている北京西→漢口・武昌・長沙行きのZ列車も正常だ。そういや海南島の一番近い本土の湛江行き快速は正常に発車していたなあ。
電光掲示板で新しい情報の掲示と北京西駅長の放送を聞き、幾人かの乗客たちが失望の声と怒声を上げて引き上げていく中、残った乗客は声を潜めてただ列車の発車が来るまで待ちに待った。
私は以前ハルピン駅の軟席候車室で10時間近くプラプラしていたことがあったが、あれはホテルをチェックアウト後、真夏の暑いハルピン市内を歩くことを善しとせず、涼しい冷房を求めてZ列車に乗車するまで軟席候車室に居た。しかし今回は予定としてのスケジュールを思いっきり狂わされているので、苦痛以外何も無かった。
6時間待っている間、4時間までは何とか我慢できたが、残り2時間が睡魔との闘いで随分辛かった記憶しかない。軟席候車室ゆったりソファーで寝るのは簡単だが、寝過ごして終わりなのはシャレになりません。
軟席候車室にいると、どの列車が団体客に利用されているかよく観察できた。時間潰しにはもってこいだが、結局それすかする方法が無いという悲しい選択でもある。
団体客利用で一番多かったのはZ19次:西安行きで、欧米人の団体様が40人ほどホームの中に消えていった。次にZ17次:長沙行きで、こちらは中国人客が多かった。
3番目に多かった列車はN205次:大同行きで、恐らく雲行石窟でも見に行くと思われるこちらも欧米の団体が10数人ホームに消えていった。
05年10月発行の時刻表だと北京西駅最後の始発は23:56:K105次:深セン行きなのだが、今日の終電は日付を越えた24:20のT15次:広州行きだった。
発車35分前に案内の放送が流れ、疲れた顔と安堵の表情を浮かべながら、T15次の軟席候車室の人たちは少なくない荷物を抱えて列車に飛び乗った。乗客たちの階段を下りる足取りが非常に重そうに見え、なんだか悲しくなった。
乗車する車輌は9号車の高包(高級軟臥)で、車輌自体は2006年1月29日に25Kから25T(19T)に変更になった。個人用個室のあった25Kの行方は分かっていない。高包でも個人用個室部屋2部屋用意した車輌に04年7月に乗車したが、このときは頼りないシャワー室が設置されていた。19Tの高包だと、2段ベットにトイレ付きでベット下段幅は80cmと幾らか快適になっている。
ちなみに25Tの軟臥と高包の各ベットには無条件で液晶TVが備え付けられ、列車側で提供するDVDを観賞することができる。
25Tの優れている部分は最新の設備を投入しており、中でもトイレの床下タンク設置は中国鉄道史の中でも始めて沿線の環境に気を付けたという時点で十分に評価できる。また電力は電気機関車から直接供給されるので電源車は要らず、その分余分に客車を連結できる。
私が期待したのは長距離列車ではいつも軟臥が不足しているので、電源車の廃車を機に軟臥を後1輌追加してもらいたかったのだが、残念ながら安くて人民が確実に乗車してくる硬座が追加された。
編成はここのサイトを見て分かるように、高包1輌、軟臥1輌、硬臥10輌、硬座4輌、餐車1輌、荷物車1輌、郵便車1輌の合計19輌である。
乗車の際、高包の中は真っ暗で、入り口で切符と換車票を交換した私は服務員に気をつけて車内を歩くようにと「車内の電源は機関車連結で付く」と聞いた。
食堂車はきちんと車内電気が付いているのに高包は真っ暗なのか分からなかった。食堂車は自家発電でも持っているのか?
お約束で、機関車を撮影しに先頭まで行く。電源要らずだからてっきりSS7Eあたりかと思ったが、何とSS8。客車に電源を供給出来るように改良を施されたのかは分からないが、この列車には確かに電源車は連結されていなかった、かも。
真っ暗な北京西駅で最終発車を待っているSS8は128号機でヘッドマークを付けていた。ただのSS8ではなく、なんか意味合いのある機関車で今までの辛い気持ちも少しは忘れられた。
高包の乗車率は50%行くか行かないかで、親子連れや黒人の旅行客もいた。このT15次:高包切符は下段で1305元と結構割高で、T97/8次の北京西→香港行き京港特快の高包(1311元)と6元しか違わない。広州は北京よりも発達しているので、所属する鉄路局が各家庭の所得水準を見合わせた料金算出方法なのかは分からない。
ただ料金自体が高いので、なかなか乗車してくる乗客はいない。ましてや同じ高包内にある高包上段は乗車してもちっとも面白みに欠けるので、益々敬遠する人が出てくる。混む時期以外はおそらく高包はガラガラだろう。今回も相部屋にはならず私ひとりでゆっくりと寛ぐことができた。個人で買う分にも高包なら楽勝だろう。
”お金で買えない価値がある”かどうかは分からないが、19T高包は質量はともかくゆったりと長時間寛げる最高の個室であることには違いない。
とにかくやっと乗車できた。いつの間にか発車をしていた。中国鉄道では発車時はガクンと来ることは稀で、普段はスムーズな発車なことが多い。発車直後ジグザクに進む車体がググググ〜と鈍い音で軋む音が聞こえてくる。この音を聞くと今まさに、いよいよ出発だなと気持ちが昂ぶって来る。
24時20分発車後約30分、そのままベッドに横になったまま部屋の電気を消さずに朝6時まで爆睡していたことを覚えている。暗闇を黙々と走る鉄の揺り籠に揺られて。
翌朝一回目に起きたのが6時半。丁度鄭州駅に到着している最中だった。
まだ真っ暗だと思ったら、乗車している車輌の上に駅舎が覆いかぶさっていただけで、発車して駅舎を出た後は外は既に陽が登っており、随分明るかった。
トイレに行った後再び眠る。
次に起きたのは9時近くで、途中の許昌や累河は既に通過していた。
朝ごはんは昨日7-11で買ったおにぎりとカップラーメンだった。
食堂車から朝食のワゴンセールが回っているが、メニューは大体お粥と饅頭とザーサイとゆで卵のセットで10元〜15元くらいするものだから買う気が起きない。
列車は延延と河南の地域を南下している。こちらの方は沿線に菜の花が満開で、遠くに見える山桜と相まって春だと思わせる雰囲気がある。
南に向かっているが暖かいというよりむしろ暑い。中国での春と秋の感覚は非常に短く、冬があけたと思ったらもう夏天気で、涼しくなったと思ったらもうダウンジャケットが必要なくらい寒くなる。
列車が信号停車しており、たまたま外に出るプラグドアが開いていたので、身を乗り出して外に写真を撮影していたら高包担当の服務員が興味深そうに寄ってきた。
まあ「何を撮影しているの?」とから入り沿線の撮影好きだということでが軽い雑談を10分ほど行なった。彼女曰くこの辺は沿線が春になると非常に綺麗になるそうで、このT15/6次の列車からだとこの辺りは深夜か早朝に通過するのでなかなか見れないのだという。
服務員に何時頃広州に到着するか?と聞くと多分23時くらいと返事が返ってきた。実は広州→深セン行きの最終便が22:05なので22時前に広州に到着すれば何とか24時に閉まる深セン羅湖のイミグレ通過に間に合いそうだったが、残念ながら本日は広州で宿を探す必要が出てきた。
列車が動いた後は部屋に戻り、ベットに備え付けてあるTVでDVDを観る。
春節にT15次の車輌が一新されたとき、軟臥と高包のTVは各チャンネルを毎次2本のDVDを流すと書かれて合ったが、ひとつのチャンネルで同じDVDを繰り返し流しているだけだった。
言っている事と実際やっていることとが食い違う―発展途上国では良く見られる現象だが、結局は民度の低さから起こっているので、車輌を一新した中国鉄道の顔なら乗客から信用を獲得する手段としてこの辺は何とかしてもらいたいものだ。
まあ中国鉄道がそこまで乗客のことを考える思考が足らないのは世界中の乗客が認めていることだが。
チャンネルは8つあり、1つが音楽番組で残りは中国・香港系のDVD映画だった。その中の1つ―『無極』(プロミス)は日本の俳優が出ているとそこそそ日本でも話題になり、中国でも盛んに宣伝をしていたがちっとも面白くなく、2度と観たいとは思う作品ではない。
ということでまたベットに横になる。通路側に頭を持って行き、寝ながら外の景色をずっと見ていた。
お酒が強ければ、買い込んでおいた中国のビールで一杯やりたいが、広州到着が深夜だと疲れが残りそうなので、お酒を買わなかった。
孝感を過ぎて湖北省に入ったこと知る。
12時過ぎに漢口駅を通過し、漢江を渡る。そのまま孤の円を描くようにゆっくりカーブをしながら漢陽駅を通過。 その後は長江に面する三国志関連の像がおいてある亀山を通過。赤壁の戦いを再現した建物が意外と線路近くにあった。その後、劉gが対孫権用に駐屯した晴川の場所を見た後いよいよ武漢長江大橋を渡る。
前の列車が貨物なのか、ゆっくりと渡っているので、長江を撮影するのは容易だ。13時近くに武昌駅に到着。しばらく停車をしていたが車両の先端に行くと、機関車をSS8からSS9に交換していた。
列車が武昌駅を発車した後、少し落ち着いたのでお昼を食べに食堂車に行く。カップラーメンは残っていたが、夜列車を降りて食べる余裕がなさそうなため、これは夜用に取って置いた。
食堂車に行くが、お客はまばら。車内販売の弁当をみんな買ったみたいだ。
しかしこの列車で一番不快な思いをしたのは食堂車だ。中国列車の従業員接客態度は一部の列車を除き、世界中から見て残念ながら低レベルの争いだが、今回の食堂車の件は最も酷い物だった。
1:メニューを頼んだらA4ノートを破った半分の大きさの紙に殴り書きでメニューがづらづらっと書かれていた(ここまで非常識なメニュー見たことが無い)。
2:食事は量は少なく、相変らずご飯がまずいが、全て値段は市価の3倍。何を基準にして値段設定を行なっているかわからないが、少なくとも乗客のことを考えている様子は全く無い。ちなみにご飯とおかず2品頼んで56元だった。
どちらかというと治外法権で守られて自分勝手な独立王国を築いている感じだ。
このように、21世紀に入っても伝統のある列車でさえこんな低落である。同じ広州鉄路局に所属をしており、株の上場を果たしている分家の広深鉄路公司も広深城際特快の車内では(外国人から見て)接客レベルが高くないがT15/6次の列車よりはまだマシだ。
無論なんでこんなトンデモ意識が中国鉄道職員の中で蔓延しているかは理由は簡単。理由は乗客は『自称優秀』中国鉄道職員に管理運営される思想が根付いている他に無い。
勿論、中国鉄道部自体ならそれなりの頭脳や礼節を持っている人間を持った方々がいるから、世界中の乗客から親しまれる鉄道運営を目指しているだろうが、現場とのギャップはかけ離れる一方だ。
しかしながらこんな思想は外国人乗客から見ればクレイジーな思考だが、誰かが意識して注意しない限り、現場の中国鉄道職員は『自称優秀』なので永遠に乗客への意識の改善はないだろう。結局外国人を含む旅客が注意か投訴するしかない。
これで「彼らだって一生懸命頑張っています」と弁護する日本人が少なからず存在するのがとても奇怪なことだ。
しかしこういった世間常識から外れている行為は我々外国人旅行者がそのつど何処かで(サイトやガイドブックに頼るのが多いが)指摘していかない限り、中国鉄道の現場のレベルは向上していかないだろう。
話が愚痴になってしまったので元に戻す。
昼食後はまた寝る。なんか食っちゃ寝生活を送っているというかDVDはつまらないし、高包個室に1人だからパソコンでも打っていればいいが、列車が深夜着と言う情況を知っているためパソコンすらやろうとする気力は起きない。結局寝るだけ。
一応パソコンに無線ランカードを挿しましたが、アンテナは立ちませんでした。ただ遅れているとはいえ、列車はそれなりのスピードで走っており、通路の電光掲示板をみると130キロは表示されていた。遅れていてもそれなりに決められた時間で到着しようとする心意気は許せます。
16時近くに長沙に到着。次の停車駅は終点の広州だがあと7時間近く走ることを考えると出るのはため息ばかり。もうどうしょうもないんだけれど(笑)。あと8時間ぐらい遅れて到着が翌朝の6時になってくれればいいなあと不謹慎なことも考えたりする。
冬をとっくに通り越しているので、18時になってもまだ日は出ている。長沙を過ぎると南嶺と呼ばれる南の山岳地帯を通過するのでのどかな田畑よりも山が増えてきて、夕闇とあいまってヒタヒタと再び夜が訪れる足音が聞こえてくるようだ。19時を過ぎて完全に真っ暗で、トンネルに入ろうが開けた場所を走り抜けようが景色は楽しめない。
19時過ぎに最後の食事を摂り(カップラーメン)、あとは終点までずっと待っていた。
遅れている列車に対して期待するのは服務員が1分でも早く切符を返しに来てくれる事―駅到着30分前には必ず切符を乗客に返す業務なので、もし服務員が部屋に来て切符を還しますと言ったら、あと1時間以内には終点に到着するという確実性がある。―22時前に到着するんじゃないか?
ただ今日のように6時間も遅れていれば、どっち道無理だろうがそんな淡い期待も抱いた時もあった。ホテルも予約せず、治安の悪いことで有名な夜の広州駅周りはどんな状況か想像が付かず、周りに黒くうごめくモノに囲まれたらどうしようという被害妄想だけは徐々に大きく膨らんでいきました(笑)。
20時過ぎ、ぽつぽつ街明かりが見えてくる。服務員に聞くと広東省に入りの北の入り口である韶関を通過したみたいだ。ただ広州まではあと3時間はかかるので結局早くても23時着になるだろうともう肚を据えるしかなかった。
深夜の広州に到着する列車の数が少ないのだろう。列車は時速100キロ前後を維持したまま、終点の広州に向かってラストスパートを駆けていた。飛ばしているかどうかはポイント地点で通過音の反応が短ければ短いほど速く走っているということになる。まあ在来線で100キロ越えは日本の在来線特急よりはずっと速いので、スピードと安全性の両面を追求しようとしている中国鉄道部の努力により助かります。
22時半過ぎ、列車のスピードが遅くなるが、見慣れた貨物操作場を通過したので広州市に入ったのだろう。この辺はもう住宅地の明かりが見え、都会に来たという感じである。
最後のカーブをゆっくり曲がりきった所で、列車は恐らく最終であろう。23時丁度、6時間遅れて北京西駅を発車したT15次は6時間遅れて広州のホームにすべり込んだ。同じ高包に乗車していた乗客もやっと着いたと安堵の顔を隠しきれないようだった。ホームには乗客を出迎える人以外は誰もいなかった。
当たり前だけど、深センに行く城際特快は終電時間を過ぎてしまったようだ。
ホームに到着し、重い荷物を抱えて広州駅の外に出る。心配していた治安だが、警察がいっぱい駅周りをウロウロしていたので荷物を取られること無くタクシー乗り場までたどり着くことが出来た。一応ズボン後のポケットには気を使い、リュックは前掛けにしておき、盗難に備えておくには越したことは無い。
タクシーに乗り、向かったホテルは有名なビジネスホテル『如家快捷』。ダメもとで飛び込んだが、何とかセーフ。時計を見ると23時半を周っていたがとりあえずネットを接続させ、たまったメール掲示板をチェック。28日の午前1時過ぎには寝た。明日の朝速攻で深セン行きの列車に乗るためだ。
T761次編。
28日早朝、ぐっすり眠る間もなく5時半には目覚ましで叩き起こされ、すぐ荷物を整えてチェックアウトの準備をする。朝食は7時からだったので、朝食は食べられず。
ホテルを出て、タクシーを拾い広州駅に行くか広州東駅に行くか一瞬迷ったが、とりあえず広州駅に向かう。
広州から深センに行く城際特快列車は広州東駅とは違い本数は多くなく、7時07分に辛うじて有った。広州東駅に行き、朝食を大快活で食べて広州東8:35→香港10:22行きの直通列車の乗車も考えたが、12時までに用事で香港に着きたかったので、できるだけ早い方がいいと考え広州からの列車に乗車した。これがもろ裏目に出たのはちょっと悔しかったが。
乗車する列車はT761次で、この列車は韓国製のRZ25Cが連結されている。早朝に広州から深センまで行った後はT353/4次に変わり、深センー韶関を1往復する特快になり、夕方深センに戻った後は、T762次〜T764次と深セン→広州東→深セン→深夜広州を往復する。座席はオール軟座で3人対面の6人掛けの個室車輌もあるが料金は同じで、普通の軟座の方が快適といえば快適。
従業員はまあ中年おばはんクラスだが、外見とは違い(失礼!)以外にも態度はしっかりしていた。車内でタバコを吸う乗客は容赦なく注意していった。マナーのない乗客を見て見ぬ振りをする服務員は少なくないが、この車輌の服務員はなかなか立派だ。ただ、乗車する際切符の端を破り捨てる習慣だけはやめてもらいたい。せっかくの切符が台無しだ・・・。
この列車は途中駅は広州東と樟木頭だけに停車する。準高速に設定されているだけあって、速い速い。途中停車駅が無ければ恐らく70分を切る速さで深センに到着しただろう。
深セン到着ホームはよりによって羅湖イミグレーションがある東側の反対の西側。こっちは重いスーツケースがあるのに一回反対側まで出なければいけないのがしんどいです。
深センの改札口に周り、10分ほど歩いて羅湖のイミグレに到着。3階か4階までエスカレーターで登り、いよいよ中国出国と思いきや出国審査で並び待ちをする長い列がたくさん。一気に疲れがどっと来た感じです。
この両国の出国審査と入国審査で、香港市民のみは香港市民を証明するIDカードをかざして自動改札機のような場所を簡単に通り抜けられるが、さすがに外国人はこう甘くなく、地味にスタンプを押されるまで並ばなければいけません。
これでもまだ新しく専用通路が出来たおかげで以前より大分スムーズになったといわれていますが、もっと審査に人を増やして並び待ちを減らしてもらいたいものです。
待つこと1時間近く、ようやく順番が周ってきた。パスポートにポンと出国スタンプを押されやっと中国を抜けたかと思ったら今度は香港側入国でまた長い列を作った大勢の人を見た。勘弁してください。
なんだかんだで香港に入国し、荷物を抱えてKCRの羅湖駅に降りたら、広州東8:35発の香港行きRZ25Z:準高速が通過して行きました・・・。・・・もういいです・・・(泣)。
KCRに揺られて30分、ホンハムに到着した後はタクシーでホテルに直行。やれやれなんだかんだ言ってやっと香港に到着したしだいです。
1本の列車の6時間遅れが結局12時前までには着きましたが12時間の予定をオーバーしてしまったのは仕方がありませんが、ここまで不運を体験したんだから次はいいことがあるとポジティブに考えないと肩が凝りますどころではありません。
今回の旅行で、一瞬先は闇ということばをつくづく改めて思い知らされました。
その後
今年の五一労働節の際に、再び北京西→広州をT15次:高級軟臥で帰ってきました。今回は幾分サービスとマナーが向上したようですが、まだまだ人類レベルには届いておりません。
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