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内蒙古、集通鉄路快速乗車記

著者:寝台軟様

*文章および画像は著作者にあります。したがて無断使用は厳禁!!


内蒙古地方を疾駆するK503次

 内蒙古、前進型蒸機の活躍で知られる「集通鉄路」。この路線に珍しい寝台車つきディーゼル流線型快車が走っています。 どなただったか、これをインターネット上で「あさぎり」と呼んでおられ、笑ってしまいました。外観の雰囲気よく似てます。 このたび乗車を果たしてきましたので、ご紹介いたします。

 これまで既に3度訪れた事のある集通鉄路…。夏休暇がとれる事となり、本当は他の未踏の域に旅したかったのですが、うるさい「お供(中国人の嫁です)」がいることも考えると、猛暑の状況から「内蒙しかないなぁ」という事に。往きのルートをこれまで行った事ない「呼和浩特」経由で。そしてこの珍しい流線型快車(通称:あさぎり号)の寝台に試乗し、緑の草原を横断してアクセスすれば…とりあえず新鮮なルートにできます。
 まず問題はきっぷの確保です。旅行屋石井氏に臥舗を依頼すると、呼和浩特は手配可能との事で、希望した下段2枚はとれぬものの、上下各1枚ならOKとの事で、決定。
 今回の利用区間は、朝10時半の呼和浩特発から深夜1時着の林東まで、14時間半。主に日中利用なのですが「下段寝台=窓側席」の効果があります。
 さらに、うまく寝台車の下段2枚がとれれば、通常必ず向かい合わせに発行されるよう(座席車はこうはいかない)なので、窓側が独占でき、加えてお供の位置を変える事によって、常に進行方向に座る事もできるので、いちばん有難いのですが、8月末は9月開学の為の移動多く混んでるとの事。

 8/23夕方、飛機で呼和浩特へ。ここは人口約100万と、中国省都としては小規模。駅付近は想像より寂しい所でした。
 金輝大酒店(これも石井さん手配,標320元)に泊まりましたが、空港に迎えに来てくれ、部屋にはウエルカムフルーツも置いてあり、さらに保険箱(貴重品用金庫)、冷蔵庫、ドライヤにバスローブまであって、地方の3星としては非常に優秀。ビジネスユースにも遜色ないホテルでした。駅前路まっすぐ徒歩7分右側(鉄路局斜対面、工商銀行上)です。

 翌朝は予報外の雨天。タクシーで站へ。

ホホフト駅にてホホフト駅にて
 
 一時、寝台が上段2枚になってしまうかという場面もあったのですが、結局、現地旅行社の方が駅ホームまで来てくれ、乗務員に交渉して希望の下段2枚を按排を依頼してくれて、結局最初の希望通りの両下段席に落ち着くことができました。

 本日の編成は「加1」つきの8両。呼和浩特発車時先頭が1号車、次に「加1」、以降2、3…で、両側先頭車は車体の2/3がディーゼル機関室となっています。指定の「加1」に乗車。集寧南で1回、進向変更あり。
 1号車,加1,2,3号車の4両が硬臥寝台。4号車より先、軟座席となっていました。終点通遼着は翌朝で、夜行で軟座というのは割と異色です。食堂車はなく、食事(弁当)は予約制。内容はありきたりのモノでした。

ホホフト駅にて
 
 硬臥寝台は中段なしの2段式で、上段でも頭上空間が約80cmと背を起こしても支えず、かつ中段同等の窓外視野が得られ、この居住性は通常の硬臥上中段と比べると格段によいものでした(なお下段有効高さは107cm、いずれも軟臥並み?)。また中段がない分定員が少ないので、通路の折りたたみイスがぜんぶ埋まるような事も無く、車内は落ち着いていました。
 先頭の「半機関車」、1号車側は寝台です。寝るにはウルサそうですが、その為かこの1両のみドア付の豪華?コンパートメント硬臥(わずか3室)となっていました。明示されてはいませんでしたが、どうも乗務員休憩車となっているようで、ちょっと覗かせてもらった所、上段は畳んでありました。形式は中間車ともYW25DTとなっていました。弁当を作るのか「厨房」と書かれたドアもありました。

 車端に、本列車の運行時刻表の配布プリントが用意されていました。ヨーロッパの列車から学んだのかな。上下共用の印刷で、対向の通遼発は下から上へとなっており、馴れない人にはちょっと見にくいですが、ありがたいサービスです。
 列車番号は、両端の国鉄部分が「上り」となり、いずれもK502。集通鉄路内は「下り」でK503。そして対向列車はK501/4です。

 その裏面には『動車組簡介』という、この列車の案内があり、設計速度は140km/hとの事。みてくれも速そうなのですが、実際の走りはチンタラしたもので、全区間の表定速度を計算すると約60km/hです。トイレ水洗方式はヒコーキみたいな「プシューッ、グォーーー」というアレで『気動増圧衝洗』と言うそうです。ただ水洗ボタンが小さい金属製で、かなり分かりづらい。その為、たまに流し忘れがあります。手洗い場は温水供給有との事で、冬場は有難い配慮。あとハンドドライヤも特筆点。

 さらに「簡介」には『茶卓台下,センヌキ設置アル。茶卓縁辺デ栓ヌクコト勿ラン事ヲ請ウ。以テ茶卓損壊ヲ免ク(筆者訳)』とありました。なるほど(笑。
 車両メーカーはボーゲンさんもお気に入りの「南車四方」です(同社HP「集通地方鉄路動車組」)。

 このHP説明では、先頭車は「硬座および軟座」と座席車になっていますから、1号車の硬臥コンパートは、後に改造したのでしょうか。
 また、編成は「硬臥と軟座のみ」と思い込んでましたので、5号車以遠は確認してません。硬座もあるのかな。
あと5号車に「[ロ巴]台」即ちスナックコーナーと、列車辨公処(切符変更)も有との事。端まで行けばよかった。スンマセン。

 集寧南、賁紅(Benhong)までは国鉄線で、非電化複線でした。呼和浩特‐集寧南の間はすれ違い列車多く、結構山がちな区間あり、樹木が深くなく簡単に登れそうな山丘でしたので、時間をとって撮影を楽しむのには良さそうでした。
 集寧南で乗り込み多いかと推定してましたが、我が加1号車ではゼロ。
 集寧‐賁紅は直線ベースで、大規模な線路付替え工事をしてました。途中、対向集通漫車と離合。
 賁紅には入換用にQJ(前進型蒸機)がいると聞いていましたが、引退したのか見当たらず。

 いよいよ集通鉄路となり、景観は牧草地など涼しげな緑の丘。「来て良かったかな」と感じます。 降ったり止んだりだった雨も、ようやく上がりました。
 この辺の区間、蒸機撮影のメッカである「経棚峠」よりひと足先に蒸機が消えた事もあってあまり知られてませんが、化徳の西方など大草原の上り勾配で蒸機がいるなら、降りて撮りに行きたいと感じる区間でした。しかし機関車はこの区間、私のあまり好かない水色&クリーム塗装のヤツばかりでした。

 化徳は、初めて集通鉄路を訪れた際、嗄拉徳斯汰(熱水)からQJ牽引の夜行漫車で来て、張家口方面へとバスに乗り換えた思い出があり、懐かしい所。直後、外国人開放地区一覧に載ってない事に気付き「やってしまった」と思ったのですが、実際はこの「外人開放」、西蔵などの一部を除き最近は有名無実化している模様です。というのも、2002年頃までは随時見直し、新規開放が発表されてましたが、その後ほったらかしだからです。
 中国には「守らなくて良い法律」が併存する、という話を聞いた事がありますが、まさにその実例でしょう。しかし我々日本人という者は一般に、できれば法は守りたい性質があるので、どうもすっきりしなくてイヤですね。開放地区でなく「非開放地区」を新たに纏めて公示してもらいたいものです。

 その先も素晴らしい緑丘が続きます。が、既に以前朝の食堂車でバター茶を飲みながら眺めた区間ですので、横になって小休止。

 正襄白旗の1つ手前、朝温格多尓站でなぜか特快塗装客車が10連くらいで留置されてました。何でしょう。どうも寝台車っぽいので新車回送かな。
 約20分遅れで17:15、正襄白旗。到着前、右手に機務段(機関区)が見え、役を外されたらしいQJが10輌以上、まとめて停まっておりました。我が「あさぎり」は、ここでタンクローリーを横付けして給油。

 18時前、予約した弁当が届きました。いまいちな麻婆豆腐弁当でしたが、今夜の食料はこのあと期待できませんので、多少無理しても腹に詰め込みます。
 桑根達来、錫林浩特への枝線を分け、その先単線鉄路らしい盛土高架をくぐりました。05年哈社版の「内蒙古自治区旅游交通地図冊」に、正藍旗の中心(敦達浩特)への路線が描かれてましたので、その新線かも。

 この先、地図によると砂漠地帯を行くようなのですが、残念ながら日が落ちて廻りは見えなくなりました。
 座席車を覗きに行ってみると、空いていました。こんななら軟座でも良かったかな、と思いましたが、下車後に前寄りの車内を瞥見したら満席。空いているのは4号車だけだったようです。 闇の中、砂漠のオアシス町と言えるホルク(好魯庫)站を確認して、また一休み。

 ところでこの集通鉄路、困ったことに市販の全国時刻表は現在まったく役に立たなくなっています。
 このディーゼル快車と呼和浩特‐錫林浩特便(桑根達来以遠廃止?)は以前より載っていませんし、昨年暮れで廃止になった大板‐通遼の区間漫車が未だ掲載され、全線漫車も時刻修正に対応せず放置状態です。訪問の場合にはこのページ(中国文)を参考にするといいでしょう。

文中の所定時刻(林東、定刻0:41着など)は、車内プリントを見て書いたのですが、このページでは、林東1:00着などと、違ってました。プリント時刻は古い可能性高いです。 このくらいの差は定刻のうち、という事でしょう。

で、このページにも出てないのですが、車内プリントの時刻表では経棚峠を過ぎ「六地溝」で3分停車となっています。
 六地溝は峠下の何もない所。停車理由は対向「あさぎり」との交換です。遅れて着きましたが、相手も同様遅れなのか、しばらく待って現れました。 通過していく車内を覗くと、かなりの「乗り」で、座席車には立っている人も…。どこまで行くのでしょうか。時刻は22時、ぞっとします。

前進型蒸気機関車

 この先が車窓お楽しみ区間で、まず左、そしてトンネルを抜けると今度は右側、しばらく走ってまた左と、眼下に同じ熱水温泉の灯りが3度、見下ろせます。急勾配緩和の為、線路がでっかいS字を描いて、山腹から温泉街の対岸へと降りていくからです。 この経棚峠、前述の通りかつては蒸機撮影のメッカで、私も温泉宿から山腹を行くQJなどを何度か見上げたものです。しかし今春をもって、この区間から煙は消えました。

 寝ていた「お供」を起こして、車窓夜景を説明してやりましたが、あまり興味なさそうでした。
 我々の当初割当てだった2つの上段寝台の下にいた老夫婦は、この熱水温泉が目的地。しかもリピーターとの事で、この見下ろし夜景もよくご存知で、通路に出て眺めておられました。火車ではるばる温泉旅行とは、なかなか文化的。集通鉄路の良いお客さんですね。
 熱水温泉口の嗄拉徳斯汰では、団体客がどっと降りていき、車内は少々寂しくなりました。このあとも、林西,大板と降りていく一方。この列車、時間帯のせいもあるのでしょうが、呼和浩特と沿線各地を結ぶ乗客パターンとなっているようです。従って末端の夜行区間利用は、比較的容易(事前に買えなくても多分車内で買える)と推定します。

 23:50頃、大板で停車中、となりに前照灯をギラつかせQJがやってきました。客6052レです(定刻なら次の宝木吐で交換)。
 久しぶりに見るQJ。健在をこの目で確かめ、ほっとします。
客車内は3人がけにベローンと寝ている輩が結構いる為に満席という状況。この列車の硬座は始発の通遼でも「無座」しか売らない、即ちオール自由席です。ここで乗ってきた人たちが、空席なく思案してました。硬座の1両はどこかで開放するのでしょうか、無人でクローズされていました。
 


 日付も変わって、25日深夜1時10分、ようやく今回目的地の林東着(定刻では0:41)。
 こんな時間に内蒙古のいなか駅に着いて大丈夫か、という不安はありました。最悪、町まで4kmの深夜徒歩というリスクも考えられたのですが、そこは人口大国。やはり駅前には、タクシーや宿の客引きがちゃんと出迎えに来ていました。予想通り。まぁこれだけはこの国、大したもんです。
 以前、通遼に深夜2時着という経験ありますが、駅前はタクシーの海?でした。この日お客の着かなかった数台のタクシー様、本当にご苦労様です。乗ってあげたいが、睡眠時間確保を考えるとそうはいかんのです。勘弁してくだされ。

あすは朝6時過ぎの客レ撮影から頑張る事とし、今夜1晩のガマン。水道すらナシ。お湯、テレビ(有!)、寝るだけの「站前旅店」に荷を解きました。深夜に灯りをつけて我々2人だけ(結果)を待っててくれたこの旅店、お供の交渉のせいか、ビックラこきの1人5元ナリ。今後これ以上(以下ですね)記録更新はないでしょう。というか、したくないものです。

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(参考:その後)
 林東では3日滞在し、最後の集通QJ蒸機の活躍を堪能できました。臨時のQJ牽引緑皮列車(海拉尓−呼和浩特)は圧巻でした。
 この5元旅店の呼んでくれたタクシーが良く、運転手はもと踏切勤務の鉄道マンで、撮影ポイントを幾分とも知っており、また各踏切で顔が利き運行情報を得ることができました。クルマもまだ新車(吉利)で快適。何より近場なら1日チャーターでたった200元と、値切る必要ナシの言い値でした。【黎明氏:手機139-4764-3956】

 2,3泊目は「林東賓館」に泊まりました。値段は安いが、小姐カギ式の陳腐な賓館でした。
賓館近くの「世紀隆大酒店」のメシはウマく、2晩ともお世話になりました。ここも宿をやってるようだが、レベルは?
 世紀隆大酒店左側の角を曲がるとすぐ風呂屋があり、按摩だけでもOKでした。

前進型蒸気機関車

 帰りの切符は全く手配してなかったのですが、林東汽車站へ行くと、期待通りの北京直行便が16時(座席)、17時(寝台・新設との事)と2本あり、寝台を確保できました(前々日にも関わらず既に下段売切れで、上段となる。開学時期だからであろう。3列独立、空調、シートベルト付。160元)。所要約12時間、北京は西直門站着。
・林東汽車站からは、この他に天津、長春、瀋陽行きなど有。赤峰行き最終は13:40と早いので要注意。

【寝台バス概況】車両は新しい。読書灯あるが電気通じてないらしく点かない。道路は殆ど一般道走行で、おまけにブレーキ操作が荒い運転士でよくは寝られなかった。21時ころトイレ休憩があったが、漆黒の原野?のなかで「立ちション」stopだった。23時ころ食事休憩があったが、このメシ屋が汚く不味く閉口した。とは言え、おかげで赤峰から先の切符手配を案ずる事もなく、北京へ出られたのは有難かった。
北京ナンバーの「銀建」バス。満天の星が美しかった(寝台バスは上段でも景色は良い)。

あさぎりの客立ち入り禁止北京行きの寝台バス

林東客運時刻表


(※漢字は一部、似た字で当ててあります)北京からの逆アクセス方法

北京西直門から往復夜行寝台バス利用、中1日で、『前進』に会いに行くこと可能ですよ。ただ、バス寝台はせまいし、トランクでは心配な撮影機材やパソコン持参はきつそう。超強行軍ですから、帰ったその日はダウン必須ですが…。

北京西直門站予約:010-6217-3556or7986、との事でした(;^_^A

 ここの『前進』運行区間は、現在査布夏-大板間を残すのみ(あと正襄白旗ー好魯庫も僅かに残ってる?かも)のはずで、それも、早ければこの秋までとか言われています。
 もと踏切マン出租氏(黎明氏)は「年内の計画だが、あくまで計画は計画であって、実態は不明」と曖昧でした。
 私のカンでは、春節まで残るんではと感じています。



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