西安旅行3.26.午前編 (2005年3月26日)
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朝7時に西安城市酒店にチェックイン。予約は別々にしたので、自分は一人部屋へ。ビジネスホテルなんだけど、書類関係の仕事に使ってくださいと言わんばかり、文房具が鏡の前のテーブルにあった。こういった小さいけど気配りは嬉しい。テーブルの下をチェックすると、ランケーブルが使える穴があった。
無料じゃないけど、ノートパソコンを持ち込めば、空いている時間はネットができると言うわけだ。持って来れば良かった!!。
30分休憩をしてから、ホテルの1階にある旅行会社に西安を周れる日帰りツアーがあるかどうか聞いてみる。この会社は朝7時30分に開くので、日帰りツアーぐらいなら行ってすぐ申し込めるだろう。幸い、西安東部周りツアーは8時からの出発だったので、何とか間に合った。Z19次に乗車していたら(7:50着)、間に合いませんでした。
ツアー料金は一人当たり45元。観光バス利用で、門票は含まれず。門票は場所によっては学生料金適用になるので、できるだけ学生料金が適用できるように祈るしかない。行く場所は、臨潼博物館、驪山、秦地下宮、始皇帝陵、兵馬俑、華清池と有名な名前もあれば聞いたことの無い名前もあった。ともかくこれで今日の1日の行動は決定だ。
バスを待っている間、朝から何も食べていないので、速攻で料理屋を探すが営業しておらず、不本意ながらケンタッキーを使う羽目になった。普段はこんな高い料理は食べないので、珍しく高い出費となった。
バスはマイクロバスで、乗客は我々日本人&フィリピン人を除く乗客は、イギリス人夫妻、残りは中国人だった(この数が莫迦になんない)。これから1時間近くかけて、東に向かう。
初めに臨潼博物館に着いた。近くには驪山と華清池があるとデカデカと宣伝していた。この博物館は、何が面白いのか分からない。一応三蔵法師の骨(?、案外動物かもしれない)を収めた仏舎利と兵馬俑の量産型ザコが数体あるくらい。
がこの博物館は国からの援助が少ないからか、がめつい中国人商売かしらんが、博物館内部においては、
1回撮影に付き10元も取ります。と言っても撮影する価値のある展示物は全く無いので、撮影する価値はありませんが。
ともかく西部のビンボー暮らしの実態が分かります。完全に観光客をなめていますね。ここは博物館ではなく、F級クラスの展示会と見做したほうがいいかもしれません。後世に笑われる場所です。・・・臨潼博物館、学生割引なし、ザコ遺跡度90。
朝から最低なジャブ攻撃を食らった我々を待っていたのは、驪山でした。この山は今でも温泉が湧き出ていることで有名ですが、中国古代史が好きな方なら誰でも知っている、始皇帝の阿房宮建設のために、多くの刑徒がここで働かされていた場所です。また楚漢争奪戦のときの淮南王黥布もここから脱走をしたのです。
さらに驪山は面白い遺跡がありました。それは国共内戦の折、蒋介石が部下の張学良に追われて、ここの崖を登ったのですが、結局つかまり、嫌々ながら国共合作を結ばされた場所でもあります。
張学良があらわれた。 国民党兵士Aがあらわれた、 国民党兵士Bがあらわれた。
蒋介石は逃げ出した。 しかし回りを囲まれてしまった。
張学良は仲間を呼んだ。
なんと毛沢東があらわれた 共産党兵士Aがあらわれた、 共産党兵士Bがあらわれた、 共産党兵士Cがあらわれた
蒋介石は逃げ出した しかし捕まってしまった |
急な坂をバスで上った後は、降りて門をくぐり蒋介石の逃亡した場所へ。特に何があるわけでもなく、蒋介石が(華清池から)ここまで逃げてきたといわれる崖を登る場所があった。こんなところ登って何かあるのかと言えば何も無い。もちろん崖だから危ない。骨折り損のくたびれもうけを象徴する場所だが、
なぜか人民は登りたがる。
莫迦な奴ほど高いところに上りたがるという俗話を聞いたことがあるが、こいつらは俗の塊だから仕方ないか。お金を持っていても所詮成り上がりでしかなく、本性は動物と変わらない生活を送っている奴らがほとんどだから救いようが無い。この地域での国際化はあと100年以上かかる。
先ほどの崖に向かう途中、蒋介石のソックリさんがいたが、彼と撮影をするには20元払わなければいけないという。相変わらず拝金主義の蔓延した営業活動だった。
ここも敢えて来ようと思う場所じゃありません。
驪山で蒋介石が身を隠した場所・・・ザコ遺跡度・・・70。
次に我々が連れて行かれた場所は「秦地下宮」。秦の地下宮殿を史記をもとに造られた一種のテーマパークみたいだ。内部は凝っていて、展示物は面白いのだが、室内が暗すぎて例えば当時の始皇帝陵完成の巨大な模型は肝心の部分が暗くて分からない。昼間を演出したいのか夜を演出したいのか分からない。
また始皇帝はこんな感じで棺桶に収められ、水銀の海に沈められた、と言うことを再現したいらしい模型も別室にあったが、これも暗すぎて分からない。明るくすれば模型の細部までわかり、当時の状況を一人でも多く理解できるのに、演出方法が下手くそだから、多くの人が訪れても、
何の関心も持たず、素通りされてしまう。だからこの建物自体の管理運営方法が、
敢えて言おう、カスであると!!
と捉えられがちになってしまうので残念だ。
我々を乗せたバスは、お土産やに寄りながら、昼食を摂る場所へと向かった。とちゅう量産型ザコの等身大「兵馬俑」と製造している工場をいくつも目にしたが、こんな等身大の兵馬俑を買って、何処に保管するんだろう?と疑問を抱いた旅行者は少なくないはずだ。
昼食時、我々が連れて行かれた食堂(別費)のそばに、量産型ザコがいくつも転がっていた。こっちの「ゴミ扱いされている」兵馬俑の一部をお土産に「もらった」ほうが、これはこれで面白いかもしれない。
それにしても観光客相手のレストランの観光スレ具合はひどいもので、西安特産メニューが1人あたり60元と日本よりも高い物価には頭にきた。それでも特産料理というだけで注文してしまう我々も我々だが(笑)。意外にもブライアンが、辛いもの系が全くダメだということを知った。どうしても南方系の人だと辛い料理ばかり食べているというイメージがどうしても定着してしまう。
しかし小林さんが言うには「フィリピンには軟弱な味な料理が結構あったよ」といわれてみれば納得する部分はある(ココナッツやパイナップルをふんだんに使った料理が基本らしい・・・)。
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