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T55次乗車記


(2005年3月25日)

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旅行する人

オレ・・・目前、最強中国鉄路サイトを運営している、(かなり)口の悪い好漢。乗り鉄のプロフェッショナル。
小林さん・・・年齢はほぼ変わらないが、収入があるのでうらやましい。通産省出向なので、困ったときの彼頼み。
ブライアン・・・天然が入っているフィリピン人、♂。明るさは天下一品、もちろん太陽男。よく食べ、よく喋り、よく眠る。華僑なんだけれど福建語、英語、フィリピン語を喋れるので、いないより居たほうがいいかもしれない。

3月25日、授業が終わり次第、西安へ行く荷造りを開始し、午後2時半に待ち合わせ。今回の旅行は小林さんとブライアンだけで計画をしていたのだが、自分がT55次に乗りたいのと、 兵馬俑の撮影という不純な目的で、彼らの旅行に加えさせてもらった。集合時、みな自分の荷物の少なさを見て「軽そうだなあ」 と羨ましがっていたが・・・。

オレ:「ブライアン!!なんでお前の荷物は多いんだよ!?カバン2つもイラネーよ」
小林:「なんか復習やるからって、テキストも入っているらしいよ」
ブラ:「だって旅行中にお腹すいたらどうすんだよ、チョコレートやビスケットもあるし」
オレ:「しあさってには北京に戻って来るんだぞ」
ブラ:「没関係、食料があるから心配要らないよ」

コイツ・・・全く人の話を聞いていない。カバンの2つのうち、1つは鉄アレーが入っているんじゃないかというくらい重かった・・・。

 途中のスーパーで買い物をして、足りなかったらブライアンに「たかる」という話し合いの結果で、バス停に向かう。バス停は学院路にある明光村站にあり、大学の西門そばの蘭恵公寓から歩いて10分ほど。 もちろん大学東門の鉄獅子墳站よりも近い。また北京西駅へ向かうバスの種類も多いし、なにより渋滞に巻き込まれる確率が低い。

 北京師範大学から北京西駅に行く方法は大学前(鉄獅子墳站)からも北京西行き(47路)が出ているが、南下すると西単に行く間に渋滞に巻き込まれるし時間がかかる ので、ほとんどの留学生が知らない学院路にある明光村站から乗車したほうが賢いと言うわけ。

 参考までに、北京西行くバスは21路、387路(定期可)、845路(定期不可)と多いので それほど困らないが、昼下がりの午後、金曜日だというのか西駅へ行くバス、来るバスみんな混んでいた。比較的乗車人数が少ない21路に乗車したが、回り道をするので、少し時間がかかってしまったが、47路よりは速いと思う。 一番速いバスは387路です。

旅の仲間 3月25日撮影 北京 老弱子供軟席候車室 3月25日撮影 北京西

 北京の天気は快晴で曇り1つなかったが、その分暑く、春の北京の気温は5月ですか?と感じだった。しかもバスの中は混んでいたし、ブライアンの荷物がハンデとなった。なかなか降りてくれる人が少ないから、車内はライト・サウナの感じだ。ブライアンは半ばグロッキーな顔をしていた。

 渋滞とかで40分後よーやく北京西に辿り着いた。駅前の群衆の間を潜り抜け、荷物検査を通して2階の候車室に上がる。荷物検査直後、警官の身分証チェックがあったが、日本語で独り言を喋っていたのでノープロブレムだった。 犯罪者や乞食を列車に乗せない方便として列車に乗車する中国人の身分証チェックをしていたが(切符売り場入り口でもやっています)、明らかに権力を嵩にきた(お金を持っていない人に対する)弱者苛めにしか見えない。 この問題は最近新聞でも取り上げられており、問題解決に時間がかかりそうだ。

 彼らを硬席候車室まで案内した後は、自分ひとりで軟席候車室へと思ったが、なぜか真っ暗。隣のレストランは営業していたので聞いてみたら。「駅舎東方面は工事中だから、向かいの3候車室を使って」とそっけない答えが。 3候車室に行くと、入り口には「老人、妊婦、子連れ、障害者専用室」と書かれていたので、おそるおそる軟臥切符を入り口で見せたら、すんなりOKが。入り口から入って、左方向に小さいけれど軟席候車室用のスペースと椅子が用意されていた。
 この候車室は見ての通り、子連れと老人が多い。意外なことだが、この候車室に限ってキッズスペースがあるのだが、別にガラスケースで作られた部屋じゃないのでタバコを吸っている人が近くにいれば、子供にとって健康には良くない環境であることは間違いない。 何のためにキッズスペースを設けているのか、こいつ等が理解するにはあと、ん10年かかりそうだ。

   列車は16:50に発車だが、16:10ほどにゲートが開かれ、先に先頭の機関車を撮影しに行った。機関車はSS7EでZ列車に連結すれば電源要らずと便利な機関車だ。西安、河南地区をメインに走っている。 隣のホームではT5次南寧(軟臥はベトナム、同登行き)が発車する頃だった。機関車は株州機関研究所が開発したDJ2 0001型が牽引していた。
 この機関車は200キロまでスピードが出せるのだが、惜しむらくは機関車が試作品で、しかもたった数両しかないことで、SS9やSS7Eに取って代わられるような気がしてならない。幸い北京西駅には1日おきにやってくるので、今のうちに見ておく価値はあります。
自分の乗車する車輌を探して10両目まで戻り、いざ待望のSRWに突入へ。

 今回乗車したT55次は16両編成。車輌構成は、

機関車+電源車+硬座+硬座+硬座+硬座+硬座+硬座+硬座+餐車+軟臥+硬臥+硬臥+硬臥+硬臥+軟臥+行李車

です。乗車できる客車は全部2階建てで、SRW(2階建て軟臥)、SYW(2階建て硬臥)、SYZ(2階建て硬座)、SCA(2階建て食堂車)です。
車輌についているサボは「北京西ー宝鶏」だが、行きは西安止まり。帰りの北京西行きは宝鶏から発車します。

発車を待つT55次 3月25日撮影 北京西 先に発車するT5次 南越河内行き 3月25日撮影 北京西

 SRW定員は50人で普通の軟臥よりも14人多く乗車できる。車輌の端と端が普通の軟臥と同じ4人部屋。下の層は上下空間は狭いが4人部屋。上層も狭いが、下段ベット2つだけというあたかも香港行きの高包の感じに近いスペースだ。上層部は完全にお買い得切符。これじゃ切符購入制限も出されるはずだ。
 廊下に電源があるが、例によって穴が3方向なので3方向のプラグしか使えない。上層も下層も荷物置き場が無く、もし大きな旅行鞄があったら、部屋のテーブル下に置くしかなさそうだ。ただ軟臥の数は他の列車の車輌より多いので取れる確率はちょっぴり高いと言えば高い。もちろん切符が発車24時間前から発売されるということを前提に知っておく必要があるし、 そういう特殊な情報を公開しない鉄道部が悪いが。

 軟臥室内は西日の影響でかとても暑く、春とは思えないくらいの蒸暑さだった。空調を調節する機械を使っても効果無し。服務員が来たときクーラーを所望したが、「すぐに涼しくなる」のそっけない一言で行ってしまった。普通の軟臥と同じ造りをしている片方の軟臥は乗客が来ないことを幸いに、乗警と服務員が勝手に占拠していた・・・(真面目に働け!!)。

 荷物を置いて外に再び出て、車輌撮影したら小林さんから電話が。聞くと小林さんたちの乗車したSYWの場所は丁度車輌の端の方で、普通の硬臥6人部屋半開放型と造りは変わらない(他は上層に4人用半開放型、下層も4人用半開放型です)。しかし買った切符が上段なのでそれなりに窮屈そうだった・・・(裏切ってすみません)。

ちなみにSYWは80人乗車です。小林さんたちが乗車した部屋は窓が上段にも設置されていたのが救いだった。上段からでも景色が見えるのだ。

上段にも窓がある硬臥 3月25日撮影 T55次 乗務員用車輌が納得いかない軟臥 3月25日撮影 北京西

気になったのは、14号車の隣は15号車に乗務員専用車輌だけど、連結されている車輌はなんとRW25Kの軟臥。 えらく豪華じゃないですか?これって国鉄乗務員の特権ですか?でもどちらかというと猫に小判ですわ。

 16:50、列車は定刻通りに発車。数多い線路から1本の線路に合流するため、車輌をくねらせながらの発車なので立っていると危険。右手に機関区が見えてきたが、ここは電気機関車とディーゼル機関車が数多く停まっている。京広線は電化されているのでSS9、SS8、SS7Eで十分だが、京九線、西駅を出て豊台に行くまでの豊沙線が非電化(豊台以降は電化) なのでディーゼル機関車が必要になってくる。DF4東風、DF4、DF10、DF11、DF11Gと入れ替え用を除いても種類はこんなにある。

 しばらくまっすぐ西に進み、水屯近くで大きく車体を傾かせながら右へ。丁度この下を豊沙線が走っている。豊沙線は旅客列車というより貨物列車が盛んで10分に1本は貨物列車が通過する。今回もフランス製の永久重連機関車が長い貨車群を牽引して通過していくのが見えた。 その後、すぐ車体を左に傾け車輪の軋み音を出しながら大きく南へ迂回する。短い距離だけど豊台貨物駅から太原に行く貨物専用線が併走する。
 雑草の生い茂る小高い場所を通過していたが、突如として目の前が開ける。永定河の通過だ。この河を渡れば北京ともお別れ。陽の傾きつつある河北の大地を列車は速度を上げて、軽快な音を立てながら一路南へと進んでいった。車内販売はあったが、全車両2階建てなのでワゴン販売ではなく、従業員が商品の入った鞄を首からヒモを通して、手に荷物を抱えての販売で大変そうだった。がこちらはブライアンという強力な輜重隊がいたので何も買わなかった。

SRWの通路、上層 3月25日撮影 T55次 SYWの通路、下層 3月25日撮影 T55次

 
   列車が発車してしばらくした後、小林さんとブライアンが遊びに来た。お酒とつまみ系を入れたビニールを手にしていた。明日、西安に着いてからの作戦会議を行うことになった。ビールを飲みながら作戦会議は延々と続いた(うそ)。とりあえず、朝ホテルに着いたら、ホテルに入っている旅行会社を通すしてのバスツアーかタクシーをチャーターして西安東部を丸一日周ることを決めた。 こちらは兵馬俑さえ見れれば問題なかったので、その方針で行くことに決めた。

 保定に停車した後は、陽はすっかり落ちて1日の終わりを告げる闇がやって来た。小林さんは既にカップラーメンを食べ終え、ブライアンも巨大な食料袋からパンやチョコレートなどを食べていたので、結局夕食は自分ひとりで摂ることになったが、食堂車が2階建て食堂車ということで、3人一緒に行く事になった。
 2階建て食堂(SCA)は定員が70名で、2階建て座席(軟座、硬座)と同じ構成、つまり通路の真ん中が2階に上がれて、通路の左右は下に降りる階段となっている。夜7時過ぎに食堂車に行ったが、混んではいなく2階の席に座れた。自分ひとりだけ料理を注文し、食後は2時間ぐらい雑談を楽しんだ。みんなの意見はこの列車の造りは悪くないが軟臥の方がよかったと言っていた。
 石家庄を過ぎ、邯鄲に停車し、真っ暗な空間を切り裂くような光の到来と共に、列車は軽快な音で加速している。安陽に着く頃は各自自分の部屋に戻り就寝の準備をしていた。こちらも10時過ぎには横になっており、気付いたら眠っていた。

香港行き高包と変わらないSRWの上段 3月25日撮影 T55次 2階建て食堂車SCA 3月25日撮影 T55次


   今までは広州行き、西南方面行きの列車は全て鄭州に停車して、機関車交換や列車の向きを変える作業を行ったが、去年のダイヤ改正で、北京西発、西安行き特快(成都行きのT7次も)だけど鄭州駅を停車させずに、鄭州駅の周りを走る貨物線を経由させることで、鄭州駅の負担を減らし時間を短縮させることに成功している。列車の運行時間短縮のために、こういった気配りを行ってくれる 鉄道局は頼もしい。
 眼を覚ましたのは洛陽に停車した時だった。今でこそ洛陽は寂れているが、昔は歴代王朝の都として栄えた首都であり、かつ後漢の曹操が亡くなった場所でもある(関係ないか)。その後はしばらく起きたり眠ったりとの繰り返しで、ぐっすりといった状況は続かなかった。最近そうなんだが、ぐっすり眠れるのが硬臥>軟臥>高包という順で、理由は分からない。

   明け方、いつの間にか熟睡していたが、5時半に服務員が起こしに来た。6時12分には西安駅に到着するので、その準備といったところだろう。トイレに行き、身支度を整えて降りる準備へ。定刻通り列車は西安駅に進入した。もちろん陽は出ていなかったが、こちらの時刻も6時12分と表示されていた。
 列車を降りた後は3人合流し、一緒に出口へ。そしてすぐ帰りの切符を買いに駅の切符売り場に行った。 27日北京西行きのZ軟臥は上段1枚きりしか残っていなく、断念。T42次の上段なら開いていると言われ、一瞬躊躇したが、3人一緒の行動が大切だと考え、結局硬臥上段3枚購入した。後で考えてT232次の軟臥も聞けば良かったなあと考えたが、とりあえず北京戻りの切符が手に入ったのでよしとする。 切符売り場の前に電光掲示板があったが、27日行きの北京西駅の列車は全部売り切れ、先ほどのT42次硬臥も没有になっていた。ある意味ぎりぎり幸運だったのかもしれない・・・。
気を取り直して、タクシーを捕まえて、予約してあるホテルまで一堂朝もやの西安市街に向かっていった。
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