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鉄の屑作戦 丹東日帰り 6.20(月)

 

 この日はどこに行くか予定は立っていなかった。もちろん昨日の段階で目的地の切符は購入していなく、2つの候補が最後まで決められなかった。ひとつは錦州、もうひとつは丹東である。錦州にはいくつか行く方法があったが、帰りの乗車が時間帯のせいもあるが全て途中乗車になり、最初から無座の可能性もあったのでそれがネックだった。しかも乗車しようとしていたT12次の瀋陽北発切符を瀋陽駅で買おうとしたら「ここでは販売していない」と無能システムを見せ付けられ一気に錦州に行く気をなくし、北朝鮮との国境がある丹東に決めた。

 瀋陽北から丹東までは4本の列車が走っており、快速はおよそ3時間半。普客は5時間半かかる。距離は280キロ。もう硬座は嫌だったし、ひそかに緑皮車の軟座に乗車してみたかった。そう、この列車は実は非空調列車なわけで料金も安い。朝のんびり朝食を食べて焦ることなく切符売り場に行き、発車20分前に軟座切符を買いに行った。のんきなもんだ。仮に買えなかったら、明日行くつもりだったので問題は無い。それに今日の天気は良くないので、部屋にこもってサイト更新でも悪くないと考えていた。
 切符は楽勝で買えた、「空調軟座快速 3号車 1号」42元。「新空調」が抜けている時点で緑皮車と判明。しかも1号だと実質一番初めに切符買ったことになる。行くやついないんだなあと思った。実は緑色の車両で軟座はまだ乗ったことが無い、最近の硬座は底上げが行なわれているが、軟座にいたっては変化が見られないので(RZ25Tで少しマシになった)、できれば当時の技術をふんだんに使ったRZ22かBか24が良かった、だめならRZ25Bでも悪くない。 んで乗車案内が出てホームに下りる。おお緑色だ、25Bか。ん!?RW・・・。良く見たら軟臥車・・・。かなりショックを受けたが仕方ない。我々乗客は中鉄客運の奴隷なのだ。

N117次緑皮車N117次サボ


軟座な軟臥お得な軟座軟臥

 軟臥に乗車して、個室の入り口を見たら、窓1,2,3ドア 窓4,5,6ドアとこの部屋を6人で使えとなっていた。軟臥なんて寝てナンボな車両。それを座っていろなんて硬座よりひでえ。ということで発車してしばらくたったら上段に移る事に決めた。その間に乗客は結構乗ってきたが、みないい加減な軟臥配置に戸惑いの色を見せていた。こちらは喧嘩上等で上段に移ったが、誰も文句を言ってこない。そのうち他の人も部屋を移って寝るようになった。軟座切符で軟臥車両を自由に扱えるとは、中々お買い得だ。

 そりゃあ列車長と乗警が自分達で車両の真ん中の軟臥を私用しているから怒るに怒れませんからなー。

 車両はクーラーなし車両で扇風機が着いていたが壊れているのか作動しない。だから窓全開にして空気の入れ替えを行なった。この軟臥はコンセントが各個室についていた。多分使えないだろうけど。昨日寝不足だったのですぐ横になり2時間半くらいは寝ていたので、景色の感想とか書けません。ごめんなさい。ただうる覚えならば流賊=『馬賊』が出そうな雰囲気だった。

 この寝台を座席扱いにする方法は、実は20年前以上から行なっている。帰国して購入した宮脇俊三氏の『中国火車旅行』の文庫版には86年、瀋陽からハルピンに行くのに買った切符は軟座、乗車した車両は軟臥だったと書かれている。

どこかの街を通過丹東駅に到着

 ここの列車職員は民営化が行なわれればすぐ首切り対象となる人ばかり。いないと思った方が良い。列車は軟臥の他に硬臥2両も連結していた。もちろん硬座料金。さらに隣には食堂車。拝金主義の塊だからボッタクリ飯屋なので行っていない。

 丹東には30分遅れで到着。駅前は無駄な毛沢東像が建っていた。あと数年で引き倒されていそう(笑)。近くに丹東客運があるのを発見。丹東ー瀋陽北間のバスが30分に1本出ていることを確認して、速攻で国境の橋を見学に行った。

丹東駅駅舎鴨緑江公園

鴨緑江橋鴨緑江橋

 現在ある国境の橋の名前は『鴨緑江大橋』。1943年に完成。当時は鉄道と道路で行き来できた。隣にある橋は『鴨緑江端橋』で1911年に2本造られた。朝鮮戦争中2本の橋のうち片方は完全に破壊され、もう片方の橋のみが現在は途中までしか行けない。無論橋に戦争の傷痕は残されている。20元払って雨が降ってきそうな中橋を渡る。雨が降ってきたら滑りそうな場所だ。ただよほどドジを踏まなければ早々簡単に河には落ちない。対岸は北朝鮮の新義州という街があり、遊園地の観覧車が見えるが対岸を歩く北朝鮮人の姿はどこにもいない。どこでかくれんぼをしているのか。

鴨緑江橋鴨緑江橋

鴨緑江橋、戦争の痕が残っている鴨緑江橋、橋は途中までしかない

 橋の先端から戻る途中、線路脇の道路をランドクルーザーが北朝鮮のほうに走っていった。色からしてこの地区の中共幹部用なのはすぐ分かる。その後丹東駅のほうから汽笛が鳴り、北京型ディーゼルが牽引する貨物列車が鴨緑江を渡り北朝鮮の方に消えていった。といっても北朝鮮に入るとすぐ北朝鮮の機関車と交換になる。

北朝鮮のほうに向かって走っていくランクルそのあと貨物列車が来た

 昼飯は朝鮮族経営の朝鮮料理店に行きました。北朝鮮が隣だから店の看板にはハングル文字がいっぱい。でも従業員の態度は中国鉄のオークよりずっといい。料理はちと高かったですが。
 帰りは高速バスが頻繁に出ているので(64元だけど水1本のサービスあり)、こちらを利用しました。バスのサービスはとてもいいです。

対、華畜、馬賊用兵器もう帰る

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