K117次乗車記 成都の道も一里から。4月29日(金)
この日は北京から成都まで移動を開始する日で、朝からそわそわしていた。準備だけは万全、後は出発を待つだけだ。今回はパソコンを持っていけないので、どうしても30時間の乗車では退屈になるので中国の新聞を買いに行った。全部で4種類。おそらく旅行をする人間でここまで新聞を買う人間はいないだろう。そういえば今回は食料品も多めに購入した。8ヶ月も中国の空気に触れていると、食堂車のメニューの常識ハズレの高さに辟易してしまうので。一応は非常食用としてだが、どっち道食べる事しか楽しみがなくなりそう。また太る・・・。飲料関係も多すぎといわれたが列車内のお湯は好きではないので烏龍茶(無糖)と水があれば問題ない。炭酸系は後で喉が渇くのでこちらは買わなかった。
朝10時近くに大学の寮を出る。バスは明光村から乗ると決めている。北京西駅に行くには西単ルートだけは避けたほうがいい、47路だと時間が倍かかります。来たバスは387路で、込んでいたが乗車後3番目の停車で座れた。10時30分に北京西駅に到着。3月25日に改装で使えなかった軟席候車室は今回は使えた。
発車40分前に改札の案内が出る。最近北京を発車する列車はみんなこんな感じだ。最もこっちは撮影命なので早い改札のほうが助かる。今回乗車するK117次は北京西ー攀枝花を40時間列車で、そのうち乗車する区間は北京西ー成都である。成都鉄路局攀枝花客運所属。攀枝花はあんまり聞かない名前だが、四川省のと雲南省の省境にある都市で、この辺を長江の上流が流れている。
列車は前撮影しにいたときは全車両新型25G(プラグドア=塞拉門)列車だったが、今回は明らかに25Gを「寄せ集め」てきかのような感じがあった。特に軟臥のサボを見ると、シールをはがしたような跡に、旅遊列車「大理ー成都」らしき文字が薄っすら残っていた。正直ショックを受けたが、これに乗車できないと成都に行けないのでしぶしぶ(不得不)乗車する事になった。車内は辛うじて清掃だけはやっている感じで、こちらの読書灯は壊れているし、テレビもあったが利用できない状態だった。早くも嫌なる原因が増えたようだ。構成は軟臥1両、硬臥9両、硬座6両、食堂車1両、電源車1両と長距離列車編成。機関車はSS8次でなぜかYZ25B(硬座、緑皮車、加1ではない)が連結されていた、誰が乗車するんだろう?
列車は11時29分に発車。軟臥の隣は食堂車だが、すでに硬座の乗客が溢れ始め食堂車、軟臥まで無座の乗客が流れ込んできそうな状態だった。12時半過ぎに食堂車に行きメニューを頼むが37元とちと高かった。食堂車も既に無座乗客でいっぱいだったが、他の乗客が
利用できないという事で、哀れ彼らは硬座に追いやられた。列車は保定、石家庄、定州、邯鄲、安陽、新郷、鄭州に停車したが、途中駅に停車するたびに硬座車輌方面はいつも黒い人だかりでいっぱい。
理由は短距離移動目的で乗車(例子:石家庄ー安陽間乗車)してくる乗客が多いため、しかも無座乗客は硬座からしか乗車できないため、炎天下のホームで硬座に追いやられる姿はなんとも哀れだった。
石家庄を過ぎた後は、食堂車も既に無座の乗客で満員状態。軟臥の通路まで流れてきそうな勢いだ。邯鄲でT97次に抜かされる。北京西ー鄭州ー武昌ー長沙ー広州間の列車で大きい駅にしか停まらない列車はうらやましい。邯鄲を発車した後、ついに無座の波が軟臥まで押し寄せてきた。軟臥はクーラーが効いていたので、それにあやかりたい無座乗客と服務員との間での口論が随所に見られた。おかげで警察(乗警)も駆り出される事態となったが、
こいつら事件がなければただめし食いの食客なのでこういうときこそしっかり働いてもらいたいものだ。
それにしても食堂車と軟臥の間の空気は悲惨だ。酒やタバコをする乗客もいるから嫌いな人によっては、地獄以外何者でもない。それでも寝台切符を持っていないと軟臥から奥には行けないのでこの境界線が天国と地獄の境という事になる。まあ軟臥で問題を起こさなければこっちは構わないんだけど。
新郷を過ぎた後は面白い列車が見られた。軍事貨物で、戦車やトラックを載せた貨車と、兵員を乗せた客車(YZ22)の混合列車が東のほうに向かっていったが、何処に行くんだろう?軍事貨物列車を見納めた後は、周りはもう真っ暗に近かった。相変わらず食堂車と軟臥車の「国境」で無座乗客と服務員の睨み合いは続いていた。
黄河を渡り、鄭州にすべりこむ頃には夜で時計は19:40を周っていた。20分早く着いたので30分の停車となった。鄭州の夜は熱帯夜。車輌の通路はサウナ、軟臥の中はクーラーが効き過ぎて冷蔵庫にいる感じだった。本来なら新郷あたりでT29次に抜かれる予定だったが、結局鄭州駅で合間見える事となったが、こちらは機関車交換&進路方向変更で抜かれた意味は無かった。 そういえは反対のホームに成都ー鄭州間の普快が停車していたが、YW22車両の中は改良を施された半開放型寝台だった。
鄭州駅を発車した後は夕食を食べるが、この列車には「套餐」というセットメニュー(15元)があり、しかも服務員に頼めば出前のサービス行ってくれるという、長距離快速にしてはなかなか気の効いたサービスだった。しかもこの套餐は大皿にご飯におかずを載せるのだが、車内販売の際は自分でご飯の量やおかずを自由に選択できるという設定もあった。こういった気配りは嬉しい。
そういえばトイレに行っても常に紙は置いてあったような気がする。また大抵の軟臥には紙スリッパが置いてあるが、この軟臥にはちょっと高そうなスリッパが置いてあった。Z列車よりもいいじゃない!この列車に関しては何も期待していなかっただけに、こういった小さな気配りを発見すると列車服務に従事している人たちのやる気が感じられます。車内は広播室からの音楽が流れているが、この周は丁度台湾から国民党党首が60年ぶりに中国に来ていたので、終始彼の演説が続いた。
洛陽を過ぎた頃、みな眠りに着くが、夜中、中国人のうるさいイビキに苛まれた・・・。
4月30日(土)
朝6:30に目覚める。曇った窓をこすると、「秦嶺」と書かれた駅名が見えた。孔明が北伐のとき、兵站で苦しめられた秦嶺山脈から取った名前であろう。それにしてもずっと停車したままでいる。服を着替えて車両の出口へ。降りようとしたらホームが無い。ホームが無いんだけど、人の乗り降りは行われていた。いや一応あったことはあったんだけど1台しかないため、あとは線路を歩くようなものだ。しばらくしたら成都方面から上海行きの快速がやってきた。この列車が発車した後ようやく発車した。
この区間は山岳地帯が続くので、列車のスピードは遅い。宝鶏ー成都間は669キロだが、特快ですらこの区間は12時間はかかる。陽平関から成都まで複線になるが、結局曲がりくねった線路の多さと、本数の多い貨物列車のためにどうしても失速せず得なくなくなる。知っている人は知っていると思うが、中国の貨物列車は、日本の貨物列車と比較しても長さは3倍。オマケに西部地域では高速道路が未発達だからどうしても物流を列車に頼るといった切実な実情が有る。しかも山岳地帯だから動きがスロー。無差別に飛ばしている南京駅付近とは全く違う。将来蘭州ー重慶を結ぶ高速鉄道計画があるらしいが、その恩恵を成都にも分けてもらいたいものである。
朝からお腹の調子が良くない。冷蔵庫の軟臥の中で、布団を剥いだまま寝たのが原因か?ともかく朝ごはんは食べない、寝ておとなしく待つという戦法しかない。それにしても良くカーブが続く区間だ。90度カーブは当たり前。線路沿いには河が流れているが、所々によっては蜀の桟道ですか?というような崖を掘った道路が見られた。道路もあり、寝台バスも何台か見られたが、ガードレールあったっけ?というおっかない場所だった事を覚えている。
この日の天気は曇り。しかし5月だというのにもう蒸し暑い。これが大陸性気候かはてまた四川独特の気候か。自分にとってはあんまり好きではない気候である。そういえば途中で成都ー北京西間の普快1364次(北京鉄路局所属)とすれ違ったが、あちらは新型25G車両だった。金の有る鉄道局はうらやましい。でも36時間コース・・・。
12:40に広元到着。ここから先は成都鉄路局の管轄下になる。ちなみに西安から広元あたりは最近格上げされた西安鉄路局が管轄する事になる。軟臥と食堂車の国境には相変わらず無座の乗客が通路にうずくまっていたり、新聞を敷いて寝ていたりという状況が続いていた。野戦病院みたいだが、寝台が無いから仕方が無い。
それにしてもお腹の調子が時間がたつにつれて悪くなってくる。朝利用したときは水の出が悪いので次から利用するのをためらわれたが、どうかんがえても「直達」だから、速攻でトイレに飛び込む。昨日辛い四川料理を食べたから「蜀当たり」か?それでも昼食は摂った。今回もまた套餐だ。
15:59綿陽に到着。外は相変わらず暑い。江油を過ぎると徐々に大地が開けてくる。江油駅の名前を見て、かつて蜀が魏の侵攻を受けて、ここの太守馬バクが戦わずに降伏した事を聞いた彼の婦人が憤りのあまり自殺した故事を思い出した。軟臥の通路を警察と手錠をはめられた乗客が通り過ぎていった。硬臥に連行するのかなと思ったらまた戻って硬座に消えた。
16:52、徳陽を過ぎると、旅行会社の方々が乗車してくる。成都の宿泊案内や成都観光の案内が目的だろう。こちらは何度か勧誘を受けたが既に安排は決まっているので丁重にお断りした。
17:30、突如として外が豪雨になる。これで成都が少しは涼しくなってくれれば助かる。
18:07、K117次は30時間の長旅を終え、成都駅に到着。自分の列車旅はこれで終わりだが、この列車はあと13時間かけて攀枝花へ向かう。本当にご苦労様です。
それにしても30時間はきつい。仮にRW25T車両でも、勘弁してくれと乗車し終えるたびに思うのだが、次に列車に乗車する際はまた乗車してしまうので、一種のクセかもしれない。もし成都に向かわれるなら、・・・出きるだけ飛行機(2時間半)か特快(約26時間)の選択が賢いと思います・・・。K117次も悪くは無いですが、30時間耐えられる方なら問題ありませんが、料金は特快と全く同じです。
成都駅の出口で18時にはこっちの旅行会社の方が待ってくれていると聞いたが、一向に現れない。15分過ぎ業を煮やして電話をかけたら渋滞に捕まっている。さらに30分後、ようやく迎えの車が来た。これに乗車して糧農大酒店に泊まる。晩御飯は食べに行かず、列車に持ち込んで余った食料品を食べてその日を終えた。
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