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中国鉄道で行く三国志の旅
河北省、河南省、山西省、安徽省、
江蘇省、上海市、浙江省


 より多くの方々に中国鉄道を利用して中国各地にある三国志の遺跡、名所に行く方法を紹介します。ただしほとんどが内陸部の田舎にあるので、バス移動の方が快適であったり、帰りは途中乗車という覚悟も必要です。
 今回三国志遺跡の紹介は三国志遺跡旅行で有名なサイト、三劉様を参考にさせていただきました。

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河北省 河南省 山西省 安徽省 江蘇省 上海市 浙江省

河北省
琢州(タク本来は左にさんずい)
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
三義廟 劉備
関羽
張飛
河北省
琢州市郊外
なし
(北京からバス移動)
遺跡の概要
劉備、関羽、張飛の3人が『桃園結義』を結んだ故事で有名な場所です。三義廟は文革で破壊されたことで有名ですが、最近新しく建て直されました。
琢州自体、劉備、張飛の出身地と言うことで観光地化され、琢州市内の至る所に案内が設けられアクセスは便利です。

南郊外に中央電子台で撮影されたドラマ:『三国演義』で使われた城壁セットを始めとする映画村(中国影視城)があるが、失望の声が多いです。
列車でのアクセス
北京市から南西60キロと近けどお勧めの列車は無いです。一昔までは普快クラスの列車ならほとんど停車いましたが最近の相次ぐダイヤ改正でめっきり減ってしまいました。あっても停車時間が観光にとって不利です。そのため北京:天橋から出ている917路公共バスで行くという手もあります。大体70分〜80分。体力に自信のある方は自転車もお勧めです。

タク州に一泊する予定のある方なら2089次:北京西→信陽行きで、北京西15:55→タク州16:44があります。それ以前の北京始発でタク州に停車する列車は無いです。帰りはバスでも無座でもお好きな方をどうぞ。
正定
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
趙雲故里 趙雲 河北省
正定県
T511次
(北京西駅発)
遺跡の概要
『三国志演義』では雑魚武将を一番多く討ち取ったことで有名な蜀将:趙雲の生まれ故郷です 。趙雲を祭る廟があります。趙雲故里は主に廟門・四義殿・五虎殿・君臣殿・順平侯殿から構成されており、一番奥の順平侯殿内には、清代の“漢順平侯趙雲故里”の碑が残っています。
列車でのアクセス
一番お勧めなアクセスは北京西駅から石家庄駅まで出て、石家庄駅前から201路バスで正定まで行けます。正定の汽車站からは1路バスに乗って、終点近くで下車します。正定駅は列車が停車してくれないので、石家庄駅からの方が早いです。石家庄から正定の距離は北に14キロほどです。

北京西駅からならT511次がお勧めです。2階建ての25Kで3時間で着く(7:35-10:20)。
切符は当日でも買えます。硬座50元、軟座60元。 帰りも石家庄駅まで出れば石家庄駅始発の北京西駅行きT特快があります(中には邯鄲発もあるけど多分座れます)。
邯鄲
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
ギョウ城遺址
天下第一柏
曹奐墓
曹操 河北省
邯鄲市臨章県
T525次
(北京西駅発)
遺跡の概要
ギョウ城遺址
【邯鄲の夢】の故事で歴史的に有名な都市ですが、郊外には曹操関連の遺跡があります。
後漢末期:曹操が袁紹一家を滅ぼした後にここを都城としている。曹操が建てた銅雀、金鳳、冰井の三つの台があったことから三台が村の名前として残っているが、現在では銅雀、金鳳の二台の基が残っているのみである。歴史的な名前では『銅雀台』が有名であろう。

天下第一柏
別名:古漢柏。高さ22.5m、周囲5.6mの推定樹齢1,000年以上の巨木。曹操が水軍を訓練した玄武池があった地であり、水陸軍の閲兵・訓練を行った際に馬をつないだ木とされている。

曹奐墓
魏の最後の皇帝:曹奐の墓。彼は265年政権を握っていた司馬氏に(無理やり)禅譲をさせられ、陳留王に落とされ302年にこの地で死んだ。
列車でのアクセス
ギョウ城遺址
北京西駅からT525次(8:53-13:11)で邯鄲駅まで来て、邯鄲から安陽行きのバスに乗り章(右にさんずい)河橋下車。東約5kmの習文を経て、北へ3km行くと三台村に到着。村の北北西にあります。

列車座席の種類は硬座60元、軟座80元。快速列車も良く停車するので移動には困りません。
南の鄭州駅からだと約270キロで途中乗車になってしまうがK快速ならほとんどが停車します。
近距離高速バスも出ているため、移動は容易です。

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河南省
鄭州
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
官途古戦場
虎牢関
曹操・袁紹
劉備・関羽・張飛
董卓・呂布
河南省
鄭州郊外
T57次
K179次
(北京西駅発)
武昌から中原之星
上海からK152次
遺跡の概要
官途古戦場
200年、兵力で劣る曹操が袁紹の大軍を破った官途決戦が行なわれた場所です。場所はぽつんと碑が残っているのみですが、近くに官途の戦いを再現したテーマパークがあり、入り口付近には馬に跨った曹操像があります。

虎牢関
190年政権を握った董卓を追い落すべく、袁紹を盟主とした反董卓連合軍がこの要害を攻めた場所です。『三国志演義』では赤兎馬に乗った呂布と劉備三兄弟の一騎打ちが名場面となっています。
他には呂布城、虎牢関三義廟などがある。
列車でのアクセス
鄭州駅自体は北京西駅や上海駅、西安駅から来る列車が必ず停車するのでアクセスは悪くない(Z列車と北京西ー西安、延安、成都行きの特快は停車しない) 。
お勧めは北京西駅からだと昼間発のT57次か夜発朝着でK179次がベターです。
武昌から中原之星、上海からK152次:16:52→7:25。

歴史名所の多い洛陽や開封、許昌の観光は鄭州市を拠点に高速バスやタクシーを使って観光することをお勧めします。列車移動だと停車する列車が限られてしまうので厳しいです。
官途の戦いを再現したハイテク館? 曹操、檄文を読み頭痛を治す官途の戦いを再現したハイテク館? 徐州の劉備を攻めた曹操軍は張遼を遣って関羽を降伏させる
許昌
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
春秋楼
曹魏古城
受禅台
曹操・関羽 河南省
許昌市郊外
なし
(鄭州からバス移動)
遺跡の概要
許昌は春秋戦国時代からあった都市で始めは「許」だけでしたが、196年:曹操が献帝を迎い入れたとき、許を後漢の都にしたので許都と呼ばれ、曹操が死ぬまで最後の後漢の首都でした。

曹操や後漢に関連する遺跡は多く、献帝が住んだ曹魏古城や後漢から魏への禅譲の時に造られた受禅台。また関羽が曹操の下にいた頃の関連として春秋楼、覇陵橋、関帝廟があります。 さらにマニアックなところでは、馬騰墓、王允墓、華佗墓、献帝廟、伏皇后墓、徐母(徐庶の母親)墓が存在するのも驚きです。

春秋楼
許昌市内にあります。
受禅台
許昌から繁城鎮まで20キロあり、1時間かけて走るバスがあります。
列車でのアクセス
許昌駅はK快速クラスなら停車するが、鄭州からのバスの方が確実といえば確実です。
鄭州から中原之星が停車をします。

実は許昌駅から東の太康まで知る人ぞ知るナローゲージの鉄道があり、本数は少ないが、客運も行なっています(朝早いが始発がある)。
洛陽
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
関林廟 関羽・曹操 河南省
洛陽市郊外
北京西駅からK269次
上海駅から1658次
西安駅からN352次
広州駅から2076次
鄭州市から高速バス
遺跡の概要
洛陽は後周、後漢、魏、西晋、北魏時代に首都が置かれ、悠久の古都として世界的に有名です。仏教の伝来の地として有名な白馬寺や世界遺産で有名な龍門石窟など訪れる価値はあります。また中国の国花、牡丹の産地としても有名です。

関林廟は219年、関羽が魏の樊城を攻めた際、捕虜の食事問題で呉の兵站基地を奪ったことにより、呉の司令官呂蒙に攻め込まれ討たれ、呉主の孫権が関羽の首級を曹操の元に送り届け、曹操によって洛陽郊外に手厚く葬られたことに由来します。
アクセスは洛陽駅からバスで行く。53,60,66,81路の「関林」で下車。龍門石窟に行く途中にあります。
列車でのアクセス
大きな都市からは洛陽行きの列車は発車しますがが、最低でも15時間近くはかかります。
北京西駅からK269次。上海駅からだと1658次(16:29→10:17)
広州からだと24時間。鄭州市からだと124キロあり、高速バス移動の方がお勧めです。

実は最寄の駅に関林駅があるのだが、列車はほとんど停車しません。
敢えて言うならK183次北京西ー南陽で、北京西17:20→関林6:52があります。
また洛陽から7511次が7:20→関林7:52に停車する。帰りは素直に市バスで洛陽市内まで戻った方がいいです。
関林の関帝廟 頂き物:にしやん様  関林の関帝廟、後は関平と周倉 頂き物:にしやん様
画像頂き物:にしやん様

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山西省
忻州
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
貂蝉墓 貂蝉 山西省
忻州市
N201次
(北京駅)
太原駅からバス。
遺跡の概要
貂蝉墓は中国四大美女の1人である貂蝉の墓。創作人物がなぜ四大美女に入っているかは不思議です。しかも墓まであるというし。
墓のある木芝村は忻州から南東約3kmですが、まっすぐ行けない為、徒歩での到達はかなり気合が必要です。
列車でのアクセス
北京駅からだとN201次(21:13-5:53)で行くか、太原からだとバスの方がいいです。距離は80キロぐらいです。
運城
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
運城関羽像
解州関帝廟
常平関帝家廟
関羽 山西省
運城市
N203次(北京西駅)
N225次(太原駅)
太原駅からバス。
西安からバス
遺跡の概要
運城は関羽の出身地で、運城駅前には関羽の像がある。
解州関帝廟は洛陽(関林)、当陽(関陵)を含め、三大関帝廟と呼ばれています。
運城駅前より11路バスで終点下車。所要約1時間。

常平関帝家廟は関帝祖祠とも言います。常平を関羽生誕の地とされ、関羽の祖先なども含め、関羽一族が祀られています。解州関帝廟より距離約10km。
列車でのアクセス
北京西駅からN203次か太原駅からN225次。快速の移動で大体5時間です。
もしくは太原駅からバスか西安長途汽車站から高速バス(毎1時間おきに発車、3.5h、35元・48元)


安徽省
亳州
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
曹操像
曹操宗族墓
華祖庵
曹操・華佗 安徽省
亳州市
北京西駅からK306次
北京西駅から1621次
合肥駅から2040次
遺跡の概要
亳州は後漢の魏王:曹操と同じ時代の神医:華佗の出身地として有名で、関連遺跡もそれなりに豊富でです。亳州駅駅前には巨大な曹操像が置かれており、曹操経済効果を狙った地元住民の期待が見えます。曹操宗族墓曹操運兵道、華祖庵、華佗像、花戯楼、魏武故里が有名だが、市内にあるので1日で回りきることも可能です。
列車でのアクセス
曹操関連の遺跡として有名な街だが、アクセスはあまり良くなく、辛うじてK306次(10:00→18:29)と1621次(10:20→19:19)の列車が朝北京西駅を発車し、夜には亳州駅に到着する(途中下車)。特快は停車しません。

合肥から列車で行く場合、2040次(8:40→13:29)、N536次(15:38→20:02)がある(共に時間は約5時間、硬座のみ)、もしくは時間がかかるがバスで行くしか方法がありません。
更に北京駅からZ73次で合肥まで出てから2040次に乗り換えるという手もあります。
許昌からバスが出ている。上海からの直接移動は5008次で阜陽(23:42→11:08)まで出てからバス移動しか選択肢がありません。
曹操運兵道近くの遺跡から見つかった曹操親族の遺産
曹操親族の墓曹操親族の墓の近くに有るハイテク?館 写真は奮戦する趙雲
合肥
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
逍遥津公園
教弩台
張遼・曹操 安徽省
合肥市
北京駅からZ73次T63次
上海駅からT726次か高速バス
南京から高速バス
漢口駅から1616次
遺跡の概要
逍遥津公園は曹操の漢中攻めの隙を突いて孫権軍がこの地を攻めたが、張遼の武功によりボコボコに撃退された名勝の名残。そのため「泣く子も黙る張遼」と恐れられ、魏王朝に入ると毎日皇帝料理が張遼の元に届けられたと言われています。

他に教弩台=曹操点将台(明鏡寺)、郊外には李典の墓があります。あと合肥は安徽省の省都です。
列車でのアクセス
さすがに省都だけあって交通の便は他の三国志史跡のよりずっとまし。北京からはZ73次T63次が発車しており、軟臥ならZ73次、筋金入りの硬座マニアならT63次をお勧めします。10時間程度。

上海駅からだと午後にT726次(15:44→22:59)が出ているが、深夜着になるのでお勧めできない。
むしろ夜発車の六安行きN538次(22:25→6:54)か、朝、南京行きの城際列車に乗り、南京到着後は中央大厦から出ている高速バスがお勧め。2.5時間で着く。上海から直接高速バスで移動という手もある。6時間。

亳州市からだとN535次(7:30-11:58)、2039次(9:53-14:45)がある。漢口駅からだと1616次(21:26-6:05)。
北京西→鄭州→許昌→亳州→合肥→漢口と言うルートも面白い。
亳州駅前の曹操像 官途の戦いのテーマパーク近くにある曹操像 合肥:逍遥津公園内にある張遼像
馬鞍山
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
朱然墓 朱然 安徽省
馬鞍山市
南京から高速バス
合肥から高速バス
上海からT732次
遺跡の概要
朱然は呉の孫権軍の武将。『三国志演義』では夷陵の戦いで蜀皇帝:劉備を追撃中に趙雲に討ち取られているが、『正史』では夷陵後も活躍している人物です。

墓自体は1984年に発掘され、その後出土した数々の副葬品と共に現在も大切に保存、展示されている。しかし撮影は禁止。 博物館の前に朱然路があります。
列車でのアクセス
市の北を流れる長江が邪魔で、北からの移動は合肥から列車・バス、南京から出る高速バスを使った方が早いです。朝早いですが上海を6:55に出るT726次がお昼(11:11)に馬鞍山に到着します。

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江蘇省
南京
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
孫権墓
石頭城
孫権 江蘇省
南京市
北京からZ49次T65次
上海から城際特快
合肥から高速バス
遺跡の概要
南京は昔は建業と呼ばれ、211年に孫権が根拠地をここに移した。明初期と中華民国の首都にもなった場所です。
孫権の墓は別の名前で蒋陵、呉王墳、梅花山。中山陵や明孝陵の近くにあるので迷わない。今でこそ孫権像があるので分かりやすいが、97年2月当時は碑がぽつんと置いてあるだけだったので探すのに苦労します。でも実は山全体が孫権の墓陵です。
列車でのアクセス
北京駅からだとZ49次T65次が走っている。共に10時間足らずで到着し、Z49次は全軟臥編成なので豪華。軟臥417元。南京駅は05年10月に新しく改装されました。
上海駅からだとT700番台の城際特快が数多く走っている。距離は300キロで3時間弱で到着。
合肥からだと列車よりも高速バスがお勧め。3時間かかりません。
石頭城孫権墓入り口
石頭城と孫権墓・・・にしやん様提供

鎮江
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
甘露寺
魯粛墓
太史慈墓
劉備・孫夫人
孫権・太史慈
江蘇省
鎮江市
上海・南京発城際特快
上海・南京発高速バス
揚州発高速バス
遺跡の概要
劉備と孫夫人の政略結婚の故事として有名な甘露寺はここ。後は魯粛の墓、太史慈の墓がある。
太史慈は『三国志演義』だと赤壁の戦いの後、合肥で張遼の計に嵌り針鼠にされて討ち死にですが、実際は赤壁の直前に病死しています。あとは劉備と孫権がお互いの願いを叶えるために切りあった「試験石」があり、これは甘露寺の入り口にあります。
列車でのアクセス
鎮江駅は上海駅から南京駅に行く途中にあるので城際特快でも高速バスでも使えます。
北京駅からだと鎮江行きの1477次普快(13:11→7:16、18時間)があるが、Z列車で>揚州まで来てから列車・バス移動するのもいいです。南京から60キロ。揚州とは長江を挟んでいるが長江大橋があるので問題なく着けます。
甘露寺入り口付近にある、試験石。もちろん後付だろう甘露寺入り口
甘露寺から山を右回りに行くと魯粛墓がある。甘露寺から山を右回りに行くと太史慈墓がある。
丹陽
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
孫堅墓(高陵) 孫堅 江蘇省
丹陽市司徒鎮
上海ー南京間の高速バス
遺跡の概要
高陵は孫策、孫権の父親である孫堅の墓です。曹操よりも劉備よりも漢王室への忠誠が篤かったため、後の時代の学者からの評価はすこぶる高い。荊州の劉表攻めで戦死した後、遺骸はこの地に葬られまし。『三国志演義』では息子:孫策が孫堅の墓参りの帰りこの地で狩りを行っていたら、以前滅ぼした許貢の残党に襲われ、死ぬ原因を作った場所です。
列車でのアクセス
丹陽駅は上海ー南京間の途中にあるが、城際特快は停車しないので、上海高速バス南京からバスで移動した方がいいです。南京漢府街長途站から丹陽までのバスが多いですが、狭い依維柯(イーベイコー)なので大きな荷物がある場合は厳しいかもしれません。丹陽から司徒鎮へはバスが出ているのでそれを利用できます。
無錫
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
無錫三国城 『三国志演義』 江蘇省
無錫市
上海ー南京間の高速バス
北京発Z1次
遺跡の概要
無錫三国城は中国版ドラマ『三国演技』(‘94年)の撮影が行なわれたいわば映画村です。 赤壁の戦いの曹操軍セットが見れます。
列車でのアクセス
上海ー南京間を走る城際特快か上海か南京から高速バスで移動した方がいいです。北京からZ1次が途中で無錫に停まります。

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上海市
上海
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
龍華寺 孫権 上海市 北京からZ列車
南京駅からT700番台の城際特快
遺跡の概要
龍華寺
三国時代赤烏5年(242年)創建の上海で一番古い寺です。孫権が建立した仏教の寺だが、呉の香りは全くしません。行っても多分感動は起きないでしょう。
列車でのアクセス
北京発Z列車で上海に行く方法がベストです。5本出ており、軟臥が一番買いやすいです。
南京からだとT700番台の城際特快。 杭州からだと杭州ー上海南間のN快速が速いです。
上海駅・上海南駅から出ている地下鉄3号線で「龍漕路」駅で下車。上海南駅の方が近いが地下鉄1号線要乗り換えします。
龍華寺龍華寺
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浙江省
蘭渓
遺跡名
(名称)
関連武将 場所 列車乗車
(お勧め鉄道)
諸葛八卦村 諸葛亮 蘭渓市 バス乗り継ぎ
(上海・杭州発)
遺跡の概要
諸葛八卦村は諸葛亮孔明の子孫約4000人が住んでいます。系列は諸葛亮の別の孫・諸葛京の子孫にあたります。 南宋末年、諸葛亮から27代目にあたる諸葛大獅がこの地に八卦陣の図式に村を建築したのが、今の諸葛八卦村です。そして、1991年に家譜が発見され、その正当性が認められたとことにより一躍脚光を浴びています。
列車でのアクセス
朝早く上海駅からN509次(8:20→13:51)が出ているが、極めて不便です。上海からバス乗り継ぎで移動した方が早いです。
上海→杭州→蘭渓→諸葛鎮。杭州南長距離バスターミナルから蘭渓行きのバスが出ています。60元前後。

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